ドイツ人や外国人と会話する時に、避けた方が良いとされるテーマ

約10年ほど前にミュンヘン大学の構内で開催されたビジネスドイツ語のコースに参加したことがある。その時に外国人と話す際には、安易にジョークや政治、宗教の話はするべきではないと習った記憶がある。これはそれまでの私の経験から言っても至極納得のいく話だったので、今でもよく気に留めて自分のルールとして守っている。

もちろん、ドイツには言論の自由がある。話したければ当然話しても構わないし、相手との関係にもよる。しかし、間違った場合、相手との関係を悪くするリスクが高いという事だ。また、自分が話したくなくともこのようなテーマを積極的に話す人も少なからず存在するので、そのようなときはテーマが深入りしないようにはぐらかすようにしている。

まず政治の話から言えば、私の経験から言ってドイツ人はこの話題を持ってくることが比較的多い。但し彼らは基本自分と意見が違うからと言ってネチネチと根に持つタイプではないので、世間話程度に抑えれば殆どの場合問題はない。しかし、難民問題やAfDが絡んでくると注意が必要だろう。国民はこのテーマに相当ナーバスになっている。

更にドイツ人以外の外国人と政治の話をするときはより注意が必要だろう。特に隣国との領土問題などのテーマは、相手と良い関係を保ちたければ避けるべきだ。しかし、このような厄介なテーマを積極的に話したがる人は本当に何処にでも存在する。もしもこの手のテーマにまともに巻き込まれてしまった場合、多くは収集のつかない議論になるし、私自身もそれは経験したことがある。また、ドイツには政治的に抑圧、迫害された外国人も多数住んでいることから言っても、政治のテーマは避けた方が無難だろう。

宗教は言うまでもなく非常にデリケートなテーマなので、話すときは細心の注意が必要なのは言うまでもない。多くの外国人にとって宗教は決して軽いテーマではない。それは世界的に宗教の絡んだ争いが絶えないことから言っても明らかだろう。しかし、多くの日本人のように自分の信じる宗教がなんだかよく分からないというのも、あまり良い印象は持たれない。故に日本人がさまざまな宗教に対し寛容だからと言って、この話題が楽しく平和的に終結するとは限らない。

あくまで私の経験から言うならば、多くの外国人にとって宗教というのは自分の人間性や倫理観を確立させる一本の柱のようなものだ。これが無ければ人間として成り立たないと考えている人も多い。もちろん何かの宗教を信じているからと言って、他の宗教を否定するものではない。仮にもしも、必要な際に自分の信仰が何か聞かれたならば、答えられるようにしておくべきだ。私は神道と答えている。また、日本の信仰に興味のある人に対しては普通に自分の思ったところを説明するが、相手の信仰には触れないことにしている。

そして、相手がドイツ人であるときに絶対に話さない方が良いテーマが存在する。それは言うまでもなく、第二次世界大戦、ナチスドイツと独裁者ヒトラーの話題である。これは半ば常識だと思うが、日本人は特に注意した方が良い。なぜなら「実はヒトラーは良いことをした」或いは「日本とドイツは第二次世界大戦から同胞である」といった、ドイツ人が全く笑えないようなジョークを言う日本人の話を比較的よく聞くからだ。

この背景には日本とドイツは同じ第二次世界大戦の敗戦国でありながら、その後の戦争教育に大きな差異があるからだと思われる。すなわち、ナチスドイツ、ヒトラーを悪と決めつけて完全否定しているドイツに対し、日本では比較的自由な論議がなされている。一部の日本人から言わせれば、ナチスを一方的に悪と決めつけるのは思考停止であり、客観的ではないという批判の意味も込められているだろう。確かにヒトラーはアウトバーンを造らせたし、VWも元はナチスの国策企業である。この他にも単に私が知らないだけで、当時の技術を現代に利用、応用している例が多くあるかもしれない。

しかし、仮にそのような理由でナチスを肯定する声をドイツで認めた場合、周りを陸地で9か国に囲まれたドイツにどんな政治的デメリットあるのかは容易に想像がつく。また、そのような声が当時の記憶を呼び起こし世の中にどんな騒ぎをもたらすか、空気を読んだ方が良い。少なくともヨーロッパでは第二次世界大戦の記憶は全く風化していない。

ナチスドイツ、ヒトラーが何をしたかは普通のドイツ人なら知っている。日本人が指摘してやるようなテーマではない。いかなる内容であろうと、このテーマは持ち出さな方が良い、というかタブーである。因みに、あくまでドイツの話であるが、公でナチスを肯定する発言をした場合、公共の平和を害したとして罰せられることになる。言論の自由とは矛盾するが、これに関しては例外だと認識している。

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