おそらく、アルネ・フリードリヒの名前は日本ではそれほど知られていない。ただでさえ地味なドイツ代表選手の中でも、輪をかけて地味な存在だったからだ。フリードリヒが活躍した00年代はドイツ代表の試合が今よりも面白い時期でもあった。それでも、今では「そんな選手もいたか」という程度で、多くの人に忘れ去られているだろう。
しかし、このフリードリヒこそ2000年代を代表するドイツの名DFという事に疑いの余地はない。おそらく、ドイツで最も過小評価されている名選手の一人だと言える。
フリードリヒは23歳だった2002年にヘルタ・ベルリンに移籍すると同年の8月に早くもドイツ代表にデビューした。センターバック、および右サイドバックの両方でプレーが可能なDFであったが、程なく右サイドバックが主戦場となった。本人もこのポジションが最も得意と述べていた記憶がある。
フリードリヒは当時の代表チームでは最も足が速いと言われており、その堅実な守備が評価されEURO2004では定位置を獲得した。しかしその一方で攻撃に関しては全く期待できない選手でもあり、監督が攻撃重視のクリンスマンに変更となるとその地位は安泰と行かなくなる。クリンスマンはこの右サイドバックに攻撃力の高いアンドレアス・ヒンケルを頻繁に起用した。
しかし、ヒンケルの守備力はお世辞にも代表レベルとは言えず、高い守備ラインから何度も裏を取られては相手選手の尻を追いかける羽目になり、結局フリードリヒがこのポジションに落ち着いた。とは言え、この右サイドバックには攻撃的MFのベルント・シュナイダーがテストされるなど、最後までフリードリヒの起用は消去法の結果という印象を拭えなかった。
更にフリードリヒは2006年W杯の初戦コスタリカ戦で、2度の味方との連携ミスがいずれも失点に直結し、これは相手が格下だったことも手伝いメディアから酷評された。フリードリヒはこの大会徐々に安定感を取り戻し随所で良い仕事はしたものの、所詮は攻撃の期待できないサイドバックである。あくまで世間の評価から言えば、真っ先に切られるべき選手であった。
もうひとつ : 逆の左サイドバックは当時から既にアンタッチャブルのフィリップ・ラームであり、右利きのラームは寧ろ左サイドよりも右サイドを得意としていた。つまり、まともな左サイドバックが現れれば、ラームを右に移し、フリードリヒが弾き出される事になる。そういう意味でもフリードリヒを取り巻く環境は非常に厳しかった。その通り、EURO2008は左利きのマルセル・ヤンゼンが左サイドバックとなり、ラームが右に移り、フリードリヒはベンチスタートになる。
しかし、このグループリーグの2戦目クロアチア戦でヤンゼンは守備の不安を露呈してしまい、ドイツはよもやの敗戦でグループリーグ敗退の危機に陥った。これで再びラームが左サイドに戻り、フリードリヒが右サイドバックのスタメンに復帰する事になる。そして迎えた8強でのポルトガル戦、フリードリヒはおそらく自身のキャリアでベストのパフォーマンスを見せた。
この試合でフリードリヒが担ったタスクはあのメッシと並ぶ歴代最強のFWクリスティアーノ・ロナウドを封じ込める事だった。ここでフリードリヒはこのタスクをほぼ完璧に遂行し、ドイツは優勝候補の一角と見られたポルトガルを破ったのである。これは少なくともファンにとっては予想外であり、いかに多くの人がフリードリヒを過小評価していたかを知らしめる試合となった。
この後、監督であるヨアヒム・レーヴはフリードリヒを右サイドバックではなく、センターバックで起用する方針を表明し、2010年W杯では32歳ながら全試合スタメン出場を果たしている。特に8強のアルゼンチン戦ではメッシを完封し、自身も代表77試合目で初ゴールを決め、最終的にはFIFAのオールスターチームの候補入りするなど全体的にも出色の出来だった。
概して言えば、フリードリヒは相手が強力であれば、守備に集中して良い仕事をした一方、相手が格下で逆に攻撃力を問われる展開になると出来が悪くなる傾向があった。つまり良い時は目立たず、悪い時は目立ってしまうタイプの選手であり、それが過小評価された原因でもあるだろう。
更にフリードリヒはそのキャリアの殆どをヘルタ・ベルリンという中堅クラブで全うした事も終始地味な印象与えた理由のひとつだろう。引退後になって実はFCバイエルンやドルトムントからオファーがあった事が明らかになっているが、フリードリヒはこれを断っている。
Die Zeitの記事によると、フリードリヒの友人が言うには、フリードリヒは車で例えればフォルクスワーゲンのゴルフだそうだ。これは車が好きでないと少々分かりづらいが、日本で言えばトヨタのカローラ、つまり派手さは無いが、安定、安全、堅実、信頼を絵に描いたような人物でもあると言う事だ。
最終的にフリードリヒはドイツ代表82キャップ、2度のW杯、2度のEUROを主力選手として出場し、とりわけ強豪国相手の重要な試合でその実力を発揮した。2010年以降はフンメルスやボアテングなどのスター選手の台頭でひっそりと代表から遠ざかり、気づいたら居なくなっていた感があるが、そのキャリアを今振りかえれば実に偉大だった事に気付かされる名選手と言えるだろう。