白いブラジル人の異名を取った技巧派MF、ベルント・シュナイダー

ドイツサッカーの低迷期のボスは間違いなくミヒャエル・バラックであるが、このバラックの他にもいぶし銀の活躍でドイツ代表を支えた選手が存在する。その一人がベルント・シュナイダーである。2006年のあのドイツW杯の開幕戦、怪我で欠場したバラックに代わってドイツ代表のキャプテンマークを巻いたのはこのシュナイダーだった。”Der weiße Brasilianer”=「白いブラジル人」の異名の通り、非常にテクニックに優れた攻撃的MFだった。

1973年生まれのシュナイダーはドイツ代表において81キャップを誇るドイツサッカー史にも残る名選手であるが、代表に定着したのは29歳、2001年のW杯予選プレーオフのウクライナ戦以降である。この試合はドイツが初めて予選敗退の危機を迎えた非常に重要な試合であった。

この試合でシュナイダーは右サイドから完璧なクロスを供給し、ドイツの勝ち抜けに大きく貢献した。更にこのシーズンはクラブレベルでもチャンピオンズリーグの決勝に進出し、2002年のW杯にも出場した。

そして、このW杯でシュナイダーは全試合スタメン出場を果たし、特に決勝のブラジル戦は敗れはしたが、シュナイダーの代表のキャリアで最高とも言えるパフォーマンスを見せる。この時についたアダ名が先の「白いブラジル人」だ。シュナイダーは緩急を使ったドリブルと得意の右足のキックでブラジルの守備陣を翻弄した。

シュナイダーはこれ以降、ドイツ代表の攻撃的なMFのスタメンを不動のものとする。特にその右サイドからの正確なクロスをバラックがヘディング決める形は、ドイツ代表鉄板のゴールパターンとして定着した。

シュナイダーは続くEURO2004も右サイドの攻撃的MFとしてスタメン出場を果たすが、この大会は精彩を欠いた。特にグループリーグ突破のかかった最終戦のチェコ戦で2度の決定的なチャンスを外し、メディアからこき下ろされた。この試合ドイツはチェコのBチームに敗れ、グループリーグで敗退した。

このEUROでの低調な出来に加え、シュナイダーの年齢も31歳となっており、大会終了後の構想外も十分考えられた。しかし、新監督となったクリンスマンはシュナイダーを引き続き左右の攻撃的MFの位置で起用し、場合によっては中盤の底や右サイドバックで起用するなどして重用した。2006年の自国W杯でも33歳ながら全試合にスタメン出場している。

特に準決勝のイタリア戦、前半にシュナイダーはブッフォンと1対1になる決定的なチャンスを迎えたが、これを惜しくも外した。これは非常に惜しまれるシーンとして印象に残っている。シュナイダーはその後も監督になったヨアヒム・レーヴからも代表に呼ばれ続けたが、2008年に椎間板の手術を受ける事になり、最終的に2009年で引退した。

非常に高いテクニックを誇る選手で、当時のメンバーでは段違いに巧かったのを記憶している。当初は右サイドからの精度の高いクロスがトレードマークだったが、徐々に中央からそのテクニックと広い視野を活かしたプレースタイルにモデルチェンジした。また、当時の選手のボスであるミヒャエル・バラックとはレヴァークーゼンで共にプレーをしており、その連携は抜群だった。

惜しむらくは、代表では81キャップながら僅か4得点と、攻撃的MFとしては得点力が低かった事だ。これはバラックという大砲が存在する以上アシストに徹した面もあるだろうが、EURO2004、2006W杯で勝敗を左右するビッグチャンスを逃した事も印象に残っている。

一方、ピッチを離れれば控えめな人物としても知られており、インタビューなどでメディアに登場する事は少なかった。チーム内では誰とでも分け隔てなく接したとされ、人間的にも非常に大きな信頼を得ていたことがベテランになっても重用された理由でもあるだろう。キャリアの殆どそバイヤー・レバークーゼンで過ごし、引退後は故郷のイェーナに戻っている。

遅咲きかつ地に足をつけた堅実なキャリアを送った、名脇役と言えるだろう。知名度こそ低いが、ドイツ低迷期を支えた選手として記憶に残っている。