AfDの中でも筋金入りの極右と呼ばれる政治家、ビィエルン・ヘッケ

2015年の難民問題以降ドイツで旋風を巻き起こし、以降も一定の勢力を維持している政党AfD(ドイツの為の選択肢)についておさらいしておく。このAfDの主な主張は、反外国人(特にイスラム)、反EU、環境問題は嘘、第二次世界大戦解釈の是正などと言ったところだろう。非常に下品かつ差別的な文言を駆使し、民衆の不満や負の感情を煽る事によって支持率を上げてきた。一般的にはかなりの保守、右寄りのポピュリスト政党と言える。

しかし、ドイツは知っての通り過去の戦争の歴史などから、このAfDは極めて問題視されている。そして、その中でも特に物議を醸す発言内容で注目を集めているのが、テューリンゲン州のAfDの代表、ビィエルン・ヘッケである。ヘッケは既に右派ポピュリストの枠を越えた筋金入りの極右政治家とドイツでは認知されており、今やヒトラーとなぞらえて評価される程までになった。

まず、このヘッケの第一印象であるが、如何にも冷徹、冷酷そうな風貌である。とにかく目が異様に青い。これは素ではないと思われるが、これだけで尋常でない威圧感を醸し出している。

また、ドイツで一般的に極右と言えば、スキンヘッドに長靴という風貌が定番であり、野蛮かつ暴力的な印象を与える。しかし、ヘッケの体格は細身で金髪、いかにも謀略を駆使しそうな悪代官のイメージがある。何やら見るだけで寒気がする印象だ。

そのヘッケであるが、最近再び物議を醸す行動で世間の注目を浴びている。ヘッケは10月末にテューリンゲン州の選挙を控えている事もあり、ZDF(ドイツ第二放送)のとある有名なテレビ番組でのインタビューに臨んだ。しかし、途中でこのインタビュアーと口論となり、最終的にインタビューを打ち切ると言う前代未聞の顛末を迎えた。

このインタビューでヘッケが執拗に質問を受けたのは、ヒトラーを意識していると言われるその言葉遣いについてである。

例えばヘッケはとある演説で”Lebensraum”という言葉を使ったそうだが、これは日本語で「生存圏」と訳されるヒトラーの東方侵略の根幹をなすキーワードである。これは一見すると何の変哲もない合成語だが、このようなナチス政権下特有の言葉はドイツでは基本タブーである。ヘッケはこのような言葉を敢えて頻繁に使用しており、ナチス思想への傾倒を疑われている。

もちろんヘッケは選挙直前の時期だけに過激な発言を控え、抽象的な話でお茶を濁していたのだが、ZDFのインタビュアーが余りにもしつこくこのテーマに拘るので徐々に苛立っているのが目に見える。そして、遂に同席したAfDのスポークスマンが痺れを切らした。TVでヘッケが感情的になる質問は止めて、インタビューを最初からやり直すべきだと訴えたのだ。

当然ZDFのインタビュアーはこれは前代未聞だと断り口論となった。AfD側としては、インタビューの内容が事前に聞いていた話と違うと捲し立て、インタビューのやり直しを強行に主張したが、ZDF側は質問の内容は事前の予告からも妥当だとして頑として譲らなかった。

確かに、インタビューの内容は明らかにヘッケをヒトラーになぞらえるなど一部挑発的なもので、押し問答のような感もある。しかし、ヘッケが実際に発した、社会的に極めて物議を醸す発言について、本人から説明を求めるのは別にアンフェアでも何でもない。事前にどんな話をしたのか知らないが、質問の内容が自分たちが想像したものでない、或いは準備できないという理由で、インタビューをやり直しを求めるなど、あり得ない。

最終的には、インタビューをこのままの内容で継続するか、ここで打ち切りにするかという議論となり、結局打ち切りとなった。しかし、この打ち切りの際にヘッケはインタビュアーに、しっかりと報復措置を取る事をほのめかす発言を残した。インタビュアーがそれが具体的に何かを質問した所、ヘッケは自らが今後ドイツの政界で重要な人物に登り詰める可能性を示唆して立ち去った。

また、AfDのスポークスマンはこのインタビューは使用しない事を要請したが、ZDFのインタビュアーは「もちろんこのインタビューは使う」と返事をし、実際にこれはネットで、しかもノーカットで公開されている。

このインタビューでAfDの政策は全く触れる事が無いまま打ち切られた事は残念だったとは言え、図らずもAfDの政党としてのアンチ・プロフェッショナル的な姿勢が明らかになったと言えるだろう。また、ビィエルン・ヘッケという人物に若干ながら触れられたのは非常に興味深かった。

私の中でヘッケはこれまで過激な極右政治家というレッテルが一人歩きしていたが、今回のインタビューを聞く限りはヘッケは、日本で言ういわゆる「歴史修正主義者」的な印象を受けた。

例えば他にもヘッケは「ヒトラーが完全な悪として扱われているのは大きな問題である。歴史においては完全な白黒がない事は誰でも知っている」と述べた事がある。この意見に賛同する日本人は案外多いのではないだろうか。しかし、現代のドイツではこれで既に極右、反社会的と認知される。

実際に、ヘッケは政治家になる以前はギムナジウムで歴史の教員だった。本人曰く、生徒や保護者、同僚から非常に高く評価された教員だったとの事だ。そして元生徒の証言などを読む限り、これは単なる自慢などではなく、実際に評判の悪い教員ではなかったらしい。確かに一部のテーマについて、かなり偏った世界観を持っていたのは明らかだったそうだが、授業内容はすこぶる好評な上に人間的にも親切で生徒たちの間でも人気があったとの事だ。

更にヘッケは歴史のほかにも体育を教えており、学校には毎朝およそ10kmも森の中を自転車で通っていた。現在でもドイツ人の中年にしては珍しく、スリムな体型を維持している。

打ち切りとなったインタビューでも、実はヘッケは質問に対して苛立ちを見せながらも、”gerne”と返事し、答える意思を見せていた。AfDのスポークスマンが茶々を入れなければ、そのままインタビューは続いていたかもしれない。数々の物議を醸す発言で極右政治家とのレッテルを貼られながら、テューリンゲン州のAfD代表まで登り詰めたのは、それなりの理由があると言う事だろう。

もっとも、ヘッケのような人物が民衆の支持を集めているのは、それは非常に懸念される事態であると言える。この人物の全貌はまだ明らかではないが、その発言内容を見れば、実際にかなりナチスに傾倒した、人種差別的思想が垣間見える。