奇跡の逆転勝利を許した1999CL決勝、FCバイエルンvsマンチェスターU戦

ロックダウン中に1999年CL決勝戦、FCバイエルンvsマンチェスター・ユナイテッド(以下マンU)戦がDAZNで公開されていたので観戦した。この試合はロスタイムの2ゴールでマンUが奇跡の逆転勝利を上げたことで多くの人々の記憶に残っているだろう。

当時はドイツ代表が低迷期に突入した一方で、クラブレベルではブンデスリーガ勢がCLで軒並み上位に進出するという相反の現象が起き、この年はFCバイエルンも決勝に進出した。1997年にはドイツ屈指の名将の一人に入るであろう監督ヒッツフェルトの下ドルトムントがCLを制しており、その翌年にもベスト4に進出している。

そのヒッツフェルトは1998年にFCバイエルンの監督に就任し、その手腕をいかんなく発揮、一時代を築いた。この決勝戦のFCバイエルンのスタメン11名のうち10名は当時評価の低かったドイツ人選手である。

もっとも、その選手たちは地味ながら一癖も二癖もある一芸を持った猛者だった。世界最高のGKカーン。38歳ながら抜群の技術と戦術眼を持つ老雄マテウス。マンマークで抜群の強さを発揮するリンケ、バベル。右サイド専門の技巧派バスラー。無尽蔵のスタミナを誇る闘犬イェレミース。左足の爆発的なキックを持つタルナート。快速FWツイックラー。193cm、93キロの体格を誇る屈強なヤンカー。

そして、この職人集団をピッチ上で指揮するのが、当時ドイツ最高のMFシュテファン・エッフェンベルクである。ヒッツフェルトは5-4-1の守備的なシステムを採用し、そのサッカーはまるで面白くはなかったが、エッフェンベルクを中心に効率という点では抜群のチームを作り上げた。

一方のマンUはコール、ヨークの強力2トップにギグス、ベッカム、キーン、スコールズを擁し圧倒的な攻撃力を誇り勝ち上がって来た。しかし、この決勝は中盤の要であるキーン、スコールズを欠いておりその戦力は著しく低下した状態だった。

試合はいきなり開始早々5分にバスラーが正面やや左からのフリーキックを決めてバイエルンが先制した。堅い守備を基調に戦うバイエルンにとっては願ってもない展開である。マンUのGKシュマイケルは壁越しのボールを予測していたが、バスラーはファーサイドに低く速いボールを蹴り、逆を突かれた格好になった。

その後は攻めるマンU、守るバイエルンの構図がひたすら続く。キーンとスコールズを欠いたマンUの攻撃は単調で全くバイエルンの守備陣を崩せそうな気配はない。この日中央に入ったベッカムはイェレミースが徹底マークし、リベロのマテウスが老練なポジショニングで危険なスペースを埋める。更にバイエルンは時折カウンターを見せながらマンUの後方にプレッシャーを与え続けた。

後半に入ってもその構図はまるで変わらず、マンUは67分に中盤左のブロムクイストに代えてFWのシェリンガムを投入する。これでマンUの前線には3人のFWが入り、この日右に入っていたギグスがは左サイドへ、中央のベッカムも本来の右サイドにポジションを移した。一方のバイエルンもFWのツィックラーに代えて、技巧派のショルを投入する。

この交代が吉と出たのはバイエルンで、中盤を削ったマンUの守備を尻目にリベロのマテウスがタイミングよく前方へ顔を出し始める。更にエッフェンベルクが攻撃のタクトを握り始め、ショルは得意のドリブルとトリッキーなプレーでマンUの守備を混乱させた。最大のチャンスは79分、エッフェンベルクが起点となったカウンターから、バスラーがドリブルで右サイドを切り裂き、最後はショルの絶妙なループシュートがポストに当たった。

80分バイエルンが疲れの見えるマテウスに代えてフィンクを投入、マンUはコールに代えてスールシャールを投入する。バイエルンはコーナーキックの混戦からヤンカーがオーバーヘッドシュートを放ちポストに当たるビッグチャンスがあったが、それまで完璧だったバイエルンの守備に若干ながら綻びが見え始める。GKカーンの周辺が徐々に騒がしくなってきた。

ロスタイムは3分、最後の攻勢をかけるマンUは左コーナーキックを得る。ベッカムの蹴ったボールをフィンクがクリアしたが、このクリアは極めて中途半端で、これをダイレクトでギグスがミドルシュート放つ。そして、この当たり損ねのシュートをシェリンガムが押し込み同点ゴールを決めた。CL制覇を目前に同点に追いつかれたバイエルンの選手に動揺が見える。

逆に負け試合を振り出しに戻したマンUは勢い付き、再び左からのコーナキックを獲得する。そして、これを今度は混戦からスールシャールが再び至近距離からゴールを決め、CL決勝戦ロスタイム3分での奇跡の逆転劇が成立した。

このCL決勝戦は私がこれまで見た中で、最も劇的かつ残酷な試合だったと言えるだろう。バイエルンは後半80分までは試合を完全に掌握しており、まさに監督ヒッツフェルトのプラン通りに試合を進めた。退屈と揶揄されながらも最後は勝利する、ひと昔前のドイツサッカーを地で行く試合だったと言える。この試合にバイエルンの論理的な敗因を見つけるのは難しい。

強いて言えば、マテウスの交代で入ったフィンクと最終ラインの連携が今ひとつだった事、更にはそのフィンクのコーナキックからのクリアミスがやや悔やまれる点だろう。或いは、ショル、ヤンカーのポストに当たるシュートが入っていれば、バイエルンは試合を決定付ける事ができた。

もっとも上記に挙げた2つの決定機は非常に難易度の高いシュートであり、マンUの最後の猛攻も終了間際の攻防から言えば常識的な範疇である。フィンクのクリアミスは痛かったが、これも滅多に無いようなミスでもない。ただ時間帯が最悪だった。

私的にはこれはもはや、当時の悪役であるドイツサッカーを、貴公子ベッカムが率いる正義のチームが征伐したというナンセンスな説明で済ませた方が納得が行く。カーン、エッフェンベルク、マテウス、ヤンカー、バスラーなどは悪役と言うには十分の強面であり、並んでいるのを見れば、もはやその威圧感は尋常ではない。実際に当時は殆どのファンはマンUを応援していた筈で、皆の望むフィクションで起こるような試合が、ノンフィクションになった。

しかし、バイエルンは翌年もCLベスト4に進出し、更に翌年には悲願の優勝を達成する。この時期のバイエルンを支えたのは名将ヒッツフェルトに加え、当時ドイツサッカー影のワールドクラスでもあったエッフェンベルクだった。このエッフェンベルクは、とある事件がきっかけで当時ドイツ代表とは縁がなかったが、ドイツサッカー史でも屈指の実力者であり、近いうちに取り上げたいと思っている。