ドイツ低迷期の大型ボランチ、ディトマール・ハマン

1990年代後半から00年代初めのドイツ低迷期に活躍し、当時としては数少ないイングランドで成功した選手の一人としてディトマール・ハマンを紹介したい。ハマンはおよそ190センチの長身で、その堅実な守備と精度の高いキックを武器にしたMFである。クラブではリバプールでチャンピオンズリーグを制し、ドイツ代表でも1998年から2004年にかけて主力として活躍した。

私がハマンを最初に見たのは1998年フランスW杯である。ロートル軍団と呼ばれ、高齢化著しいドイツ代表の中で数少ない20代の選手として登場した。基本的に優れたポジショニングと長身を活かした深いタックルによる守備力に秀でた選手であったが、爆発的なキック力で右足でのフリーキックも任された。

一方攻撃面では物足りない選手であり、惨敗した8強のクロアチア戦では、ボールを持てばひたすらビアホフの頭に蹴ると言うワンパターンを繰り返し、当時解説をしていた加茂周氏に酷評されていた記憶がある。もっとも、ビアホフの頭は当時ドイツが世界と戦える唯一かつ絶対的な武器だったので、それも戦術的に止むを得なかった事も付け加えておく必要がある。

しかし、ハマンはこのW杯後、FCバイエルンからイングランドのニューカッスルに移籍をした事でプレーの幅を広げる事に成功した。すなわち、その守備力だけでなく、広い視野から攻撃の起点としてパスを散らす仕事でも存在感を放つようになったのである。ハマンはニューカッスルから名門リバプールへ移籍し、ドイツ代表でも中盤の底として不動の地位を築いた。

更にハマンが得意としたのが「不意打ち」フリーキックである。これは相手がウロウロ壁を作る前にいきなりキックを放つという、一見するとかなりセコい戦法である。しかし、これはルール違反ではない。誰も直接ゴールを狙うと思わないような長い距離なので、皆が無警戒の所をいきなりハマンは蹴るのだ。そのキックがまた強烈かつ正確なのでGKの反応が遅れて得点になる。

2000年に行われたW杯予選イングランドvsドイツ、この試合でハマンはこの得意の不意打ちフリーキックで得点を上げドイツが1-0で勝利した。この試合はピッチが非常に滑りやすく、地を這うようなハマンの強烈なキックがGKシーマンの手を弾いて突き刺さった。旧ウェンブリー・スタジアムの最後の試合であり、最後のゴールとしても記憶に残るものだ。この頃のハマンはドイツ代表で10番を付けており、文字通り攻撃の中心でもあった。

しかし、ミュンヘンで行われたこの再戦でドイツはイングランドに1-5という歴史的惨敗で返り討ちにあった。これ以後ハマンは攻撃的なMFバラックの台頭により、再び後方で守備のパートを主に受け持つようになる。2002年のW杯本戦では全試合でスタメン出場し、黒子としての役割で望外の準優勝に貢献した。

ハマンはそのクレバーなプレースタイルから31歳となったEURO2004でも不動のスタメンとして出場したが、チームはグループリーグで敗退しハマン自身の出来も著しくなかった。大会後に新監督のクリンスマンが就任して以降は一度テストマッチのオランダ戦でチャンスを与えられたが、ハマンはこの試合限りで代表に呼ばれる事はなかった。

クラブでは2005年にリバプールで悲願のチャンピオンズリーグを制覇している。決勝はACミラン相手に前半0-3でリードされながら後半で同点に追いつき、最終的にPKで勝利した事で歴史に残る試合でもある。ハマンはこの後半から試合に出場し、リバプールの2点目をアシスト、更にPK戦でも重圧のかかる1人目のキッカーとしてきっちりと決めた。

ハマンは最終的に2011年で現役を引退、ドイツ代表では59キャップ2002年W杯準優勝、FCバイエルンで2度のブンデスリーガ制覇に加え、前述したチャンピオンズリーグ制覇、UEFAカップも2度制覇している。ドイツ低迷期真っ只中の選手であり、その地味なプレースタイルから知名度は低い選手ながら、当時数少ない国際レベルで成功した選手でもある。

その冷静なプレースタイルとは裏腹に私生活では賭博やアルコール依存症に陥るなど、一時は人生を破滅させる危機に陥った時期があった模様だが、現在ではペイTVSkyの解説者としてメディアに頻繁にその姿を見せている。独自の視点から忖度の無い思い切った発言や鋭い指摘が多く、解説者としての評価は非常に高い。