旧東ドイツの人口は、1905年と同水準まで落ち込んでいる

1990年にベルリンの壁が崩壊して以降、一般的にはドイツの経済的な東西格差というのは縮まって来ていると言われてきた。実際にザクセン州やテューリンゲン州のGDPは東西統一以降3倍になり、給与格差も縮まっているとされる。しかし人口動態に関して言えば、東西格差は開く一方となっている事がドイツの社会経済研究機関であるIfoの調べで確認された。

それによると、現在旧東ドイツの人口は1905年の水準にまで落ち込んでいる。更に一部の過疎地域の人口は19世紀の中頃の水準にまでなっているとの事だ。そして、それは今後更に減少する見込みである。一方の旧西ドイツ地域の人口は伸び続け、過去最高を記録している。

この東西ドイツの人口動態の明暗がくっきりと別れ始めたのが1949年の東西ドイツ分裂である。グラフを見る限り、それ以前は東西ドイツともほぼ同じ人口増加率を示している。

もっと詳しくみれば、まず1871年から1936年までの間で、東西ドイツともその人口はおよそ2倍になった。この時点で、旧東ドイツの人口は1600万人、旧西ドイツは4200万人とのことだ。若干だが旧東が旧西より増加率が高い。

更に1936年から1949年までも概ね同じような人口動態を示しており両地域ともおよそ15-20%増加したが、ここでも寧ろ旧東の方が増加率が高い。特に第二次世界大戦終戦直後に、旧東の地域は東ヨーロッパからの戦争難民を受け入れたため短期間ながら強い増加率を示したとされる。

しかし、1949年ドイツが東西に分裂して以降、多くの優秀な人材が東から西へ移動し、当時の東ドイツは1961年にベルリンの壁が建設されるまで多くの人口を失った。一方西ドイツは東からの流入に加え、1960年台に南ヨーロッパから大量の労働力を受け入れて1970年代まで強い増加傾向を示した。

それ以降、東ドイツはベルリンの壁の建設、西ドイツはベビーブームの終了で横ばいの状態になるが、再び東西の人口差が更に開く歴史的イベントが1989年に発生する。言うまでもなく、ベルリンの壁の崩壊である。そして東西ドイツが統一すると、再び旧東ドイツから旧西ドイツ地域へ多くの優秀な人材が流入し、その差は更に広がった。

これは先日ハーバード大学で演説した首相メルケルの言葉が端的に示しているが、それだけ多くの人々が自由な世界を求めていたという事だろう。彼女自身も壁の崩壊によって、研究者から政界へ身を投じる事になった優秀な人材の一人であった筈だ。

何れにしても、戦後旧西ドイツ地域では60%もの人口が増加した一方で、旧東のそれは15%減少した。例えばドレスデンやライプツィヒは現在それぞれ55万人を擁する東ドイツ屈指の都市だが、もしも旧西ドイツ同様に発展していれば、今日には100万都市になっていたとされる。

東西ドイツ統一後、旧東ドイツの復興のために多くのお金が投資されているとされるが、結局人々は東ドイツを去り西ドイツへ行っているという事実が明らかになった。実際に、旧東ドイツ地域ではAfDという右派ポピュリストが非常に強い勢力を持っているが、これは多くの人々が現状に対する不満を持っている事の裏返しでもあるだろう。

おそらく、依然として旧東ドイツには競争力のある産業、企業が育っておらず、やはり優秀な人材が仕事を探すとなると、必然的に西の大都市へ行くことになる。残るのはリスクを犯さない現状維持を望む人々で、助成で受けたお金を新たな事業に投資したり、大きな産業を発展させようというアイデアもないのかもしれない。

一方で、旧東ドイツだけでなく、旧西ドイツの地域も環境問題や、不動産価格の高騰などを招いており、以前より住みにくくなっている。これは急激な人口の増加と無関係ではないだろう。この現状を踏まえて、政治は適切な答えを国民に示す必要がある。このデータにより、今年行われる東ドイツ3州の州議会選挙が、更に注目される事になるだろう。