EURO2021でドイツ代表はベスト16で敗退し、7月末をもってドイツ代表監督であるヨアヒム・レーヴが正式に退任した。監督として15年間、アシスタントコーチ時代を含めれば実に17年間と言う長期政権である。数年ごとに首を取っ替え引っ替えする現代のサッカー界では異例の長さと言って良い。
この間、ドイツは低迷期から復活し2014年W杯を制した一方で、4年後のロシアW杯では史上初のグループリーグ敗退という歴史的惨敗を喫した。私はこのレーヴ政権下のドイツ代表を最初から最後まで見届ける事が出来た故、非常に思う所もある。このヨアヒム・レーヴがドイツサッカーにもたらした変化、そしてその功績と失敗を振り返ってみたい。
まず、ヨアヒム・レーヴがドイツ代表の監督に就任したのは2006年自国W杯からであるが、レーヴはその前の2年間、監督であるユルゲン・クリンスマンのアシスタントコーチを務めている。実は私がこのレーヴの仕事で最も評価しているのはこの監督就任前の2年間だ。この2年間でまずドイツサッカーは大きく変貌した。
当時ドイツは深刻な低迷期に喘いでいたが、ドイツ代表はこの2人の下2006年W杯で3位に入るという望外の成功を収め、強豪国として復活した。しかし、その結果以上に重要だったのが、ドイツ代表はここで新たなサッカースタイルを確立した事である。
すなわち、精神力、肉弾戦の強さに頼ったサッカーから脱却し、ポジショニングに優れたスマートな守備、テクニックとスピードで相手を凌駕するサッカーへの脱皮を図り、見事に成功を収めた。レーヴはアシスタントコーチとして、このドイツ代表の新たなスタイルの確立に決定的な役割を果たした。
過渡期には多くの目の当てられないような惨敗を喫し、世間から痛烈な批判を浴びながら、自らの信念を貫き通し改革を成功させた点は大いなる敬意が払われて然るべきだ。もっとも、2006年W杯は自国開催のため予選敗退のリスクが無かったこと、更にはクリンスマンというカリスマ監督が常に批判の矢面に立ってくれた事はレーヴにとって幸運だったと言える。
いずれにしても、それまで監督として全く無名だったレーヴは見事にそのチャンスを活かし、2006年にドイツ代表監督に就任した。クリンスマンのような圧倒的なカリスマ性が無いことが当初は懸念されたが、その後もEURO2008準優勝、2010年W杯3位という安定した成績を残す事でその評価は不動のものとなった。
ここまでのレーヴの戦術は基本的にまずは守備から入り、ボールを奪ってからの縦に速いショートカウンターが主体であった。
しかし、ここでドイツにとって最大の壁となったのが、スペイン代表である。FCバルセロナ仕込みのポゼッション+ゲーゲンプレッシングのスペインにドイツは全く歯が立たず、レーヴは2010年以降、その戦術をスペインに倣って自らボールを保持しながら試合をコントロールするスタイルに大きくモデルチェンジする事になる。
この時点でのレーヴの選択は、私は正しかったと思っている。W杯やEUROで優勝するには、カウンター主体のサッカーでは限界がある。相手が攻めてこなければ、たちまち手詰まりになる上に、当時のスペインにはカウンターをもろともしない程の圧倒的なテクニックと組織力があった。折しもドイツ代表はそれ迄のボスであるバラックが退き、新たにテクニックに優れた選手が台頭し始めた。モデルチェンジするには丁度良いタイミングでもあった。
事実、ポゼッションを強化した2011年から2014年迄のドイツ代表は名実ともに世界トップだったと思っている。EURO2012こそレーヴの采配ミスでイタリアに敗れたが、知っての通り、2014年は安定した試合を続けブラジルW杯を制すまでに成長した。戦術面のみならず各ポジションに実力者を揃え、ベテランと若手が融合した非常にバランスの取れたチームだった。
しかし、この優勝を最後にレーヴの戦術は徐々に機能しなくなる。決定的だったのはサイドバックであるフィリップ・ラームとフォワードのミロスラフ・クローゼという実力者が代表を退いた事だろう。というのも、ヨアヒム・レーヴはこの両ポジションで、両者の後釜を代表にフィットさせ、育てる事をしてこなかった。このフォワードとサイドバックの軽視は後々まで響く、レーヴ最大の失敗の一つだろう。
フランスに敗れベスト4に終わったEURO2016でこれに気づいたレーヴは、この辺りから再びこの両ポジションを新たな選手でテストする様になったが、長年軽視したツケは大きく、結局最後まで解決出来ず仕舞いだった。
更に惨敗した2018ロシアW杯はやる事なす事、全てが最悪だったと言える。特に頑迷にまで拘ったポゼッションサッカーは完全な過ちであり、カウンターの格好の餌食となった。本人も後に述べていたが、ここには明らかな驕りがあった。多くの人々が主張した通り、このタイミングでヨアヒム・レーヴは退任すべきだった。
そして2018年から先にEURO2021までのレーヴはまさに「迷走」した。さまざまな戦術を試しては再び振り出しに戻し、突然ミュラー、フンメルス、ボアテングを戦力外とし、結局本大会直前で呼び戻さざるを得なかった。時折良い試合も見せたものの、選手の質から言えば、期待外れの結果、内容が圧倒的に多かったと言える。
結局EURO2021は惨敗した2018年のポゼッションサッカーが3バック若干注意深くなった程度で、殆ど進歩がみられなかった。逆にカウンターを恐れる余り前線の有能な選手のポテンシャルを使いこなす事が出来なかった。
何より、かつてのドイツの強みであった肉弾戦の強さ、勝負強さは完全に失われた。かつて日本では「ゲルマン魂」という言葉があり、これはどんな劣勢からでも最後まで諦める事なく戦い、しばしば勝利をもぎ取ってきたドイツ代表の勝負強さを表している。これに似た言葉はドイツ語にもあり、これは”Deutsche Tugenden”と呼ばれる。
ヨアヒム・レーヴは当初からこの”Deutsche Tugenden”を真っ向から否定し、あくまでサッカーの技術で相手を凌駕しなければ、ドイツ復活はあり得ないという信念があった。確かにドイツのサッカースタイルはこれでアイデア、テクニックの面では遥かに魅力的なものになった。これは紛れもなくレーヴの功績だろう。
一方で後期に頑迷にまで拘ったボールキープ偏重のサッカーからレーヴは最後まで脱却できず、多くの課題を新たに残した上での退任となった。走力、フィジカル、セットプレーが軽視され、クラシックなフォワード、サイドバックは深刻な人材不足に陥った。圧倒的にボールを支配、内容で凌駕しながらもドイツサッカーが結果を出せない体質になってしまったのは大きな負の遺産と言える。
2014年までは素晴らしい内容、結果を残しながら最終的にヨアヒム・レーヴの監督としての評価は決して高いものではなくなってしまった。15年もの長期政権の弊害がまさに現れたとも言えるだろう。