90年代ドイツ最高のストライカー、ユルゲン・クリンスマン

1990年代にドイツのエース・ストライカーとして活躍したユルゲン・クリンスマンの知名度は日本でも高いだろう。ドイツ人選手は実力の割に地味なプレースタイルで人気が低いのだが、クリンスマンは例外的に人気も非常に高い選手だった。スマートな体格に、金髪で爽やかな容姿、そのダイナミックなゴールは多くのファンを惹きつけ、スター性で言えば歴代ドイツでも屈指のレジェンドである。

一般的にクリンスマンは足でも頭でも点が取れる、オールラウンドなセンター・フォワードとして認知されている。それは決して誤りではないと思うが、あくまで私の印象から言えば、ペナルティエリア内に居座るタイプではなく、シュート自体も特別巧い訳ではない。或いはテクニックやキープ力も決して高いわけではなく、ポストプレーなどは寧ろ苦手だったという記憶がある。

私が見る限り、クリンスマンが優れていたのは、相手を振り切るその圧倒的なスピードや跳躍力、僅かなスペースを見つけ飛び込んで行き、あらゆる態勢からでもゴールを陥れる身体能力と得点感覚である。故にカウンターからその俊足を活かしてぶっちぎる、或いは1.5列目あたりから勢い良くスペースに飛び込み、ゴールを決めるパターンが多かった。

特にそのダイビングヘッドは、ただ飛んでいるというよりは「飛行している」と思えるほど、ダイナミックで絵になった。1990年W杯のユーゴスラビア戦で見せたような、それこそ頭から落ちるようなダイビングヘッドがクリンスマンの代名詞でもある。また、1994年W杯韓国戦の2点目、右サイドからのグラウンダーの足元へのパスを右足で背中へ浮かし、回転し振り向きざまに左足で決めた得点も非常に鮮やかだった。

総じて言えば、クリンスマンはおよそ不可能とも思える難易度の高い、アクロバットのようなシュートを鮮やかに決めて見せた。その華やかなプレーで、非常に人々の記憶に残るゴールを多く決めてきた。

しかし、クリンスマンは決して人気だけの選手ではなく、長年にわたりしっかりと結果も出してきた。1985年に21歳でブンデスリーガで15得点を上げて以降、1989年からはイタリア、フランス、イングランド、そして再びドイツと渡り歩きながら、常にコンスタントにゴールを上げてきた。

特にフェアプレーを重視するイングランドでは移籍前「ダイバー」と呼ばれて、歓迎されていなかったが、クリンスマンは瞬く間にその不評を覆すことに成功した。それどころか、そのシーズンのイングランド最優秀選手にも選ばれ、所属したトッテナムのレジェンドになっていると言う逸話がある。

おそらく、クリンスマン程長い期間、移籍を繰り返しながら国内、海外問わず安定して活躍し続けた選手は存在しない。これはクリンスマンのサッカー選手としての能力の高さだけでなく、さまざまな言語、生活スタイルに適応できる人間力の高さでもあるだろう。1988年と1994年の2度、ドイツ最優秀選手にも選ばれている。

ドイツ代表でも1990年以降はドイツのエースストライカーとして引退する1998年まで活躍し、通算108キャップ、47得点を記録している。特に1990年W杯の16強オランダ戦はクリンスマンのキャリアでベストマッチと呼ばれており優勝に大きく貢献した。また、EURO1996ではキャプテンとしてチームを優勝に導いている。その実力から言っても、1990年代ドイツ最高のストライカーである事には疑いの余地がない。

引退後は2004年に低迷するドイツ代表の監督に就任し数々の改革を断行、前評判の低いチームを3位に導いた。それ以後は監督として成功と失敗を繰り返しており、選手時代のような安定して成功を収める事はできていない。しかし、そのスター性、カリスマ性はクリンスマンにしか持ち得ない特別な能力であり、再び監督としてピッチに戻ってくる事を期待している。