ドイツサッカー史上最高の選手が誰かと言えば「皇帝」フランツ・ベッケンバウアーか、「爆撃機」ゲルト・ミュラー、そしてこのローター・マテウスの3択になるのではないか。少なくともMFとしてなら、マテウスは議論の余地なくドイツ史上最高の選手だと言える。
それどころか総合力で言えば、サッカー史でも歴代最強のセントラルMFかもしれない。あのマラドーナはマテウスを最も手強い対戦相手と認めている。全盛期は攻守のあらゆるスキルが世界トップクラスであり、まさに完全無欠の選手だった。
そのマテウスのプレーであるが、まず攻撃面から言えば、圧倒的なスピード、走力に加え、正確かつ弾丸のようなミドルシュート、無尽蔵のスタミナ、両足での精度の高い長短のパスに加え、テクニックも申し分ない。強いて言えば身長が低かったのでヘディングはさほど強くなかったかもしれないが、その攻撃力は間違いなくドイツ歴代MFでも最強クラスだろう。
マテウスの特徴的で、個人的にも最も好きなプレーを挙げるならば、中央をロケットのように切り裂くドリブルから繰り出される弾丸シュートだ。特に1990年のW杯ユーゴスラヴィア戦のそのプレーは歴史に残る衝撃的なものだった。後半両チームの選手に疲れが見える中、中央やや自陣よりでボールを受けたマテウスは迷いなく、すぐさま前方へ向かってドリブルを開始した。
周りの選手が足が止まる中、マテウスは驚異的なスピードで中央を突破、ボールを奪いにきた相手選手を右にあっさりとかわし、そのままミドルレンジからゴール左下に弾丸シュートを突き刺した。まるで人間の中に一人サイボーグが混じっているかのようなそのプレーは、マテウスの脅威的な能力が凝縮された得点だと言える。
この1990年にマテウスはW杯を制しバロンドールにも選ばれた。翌シーズンも当時世界最強のリーグと言われたセリエAで16得点を記録し、現在でもドイツ人選手として唯一となるFIFAの世界最優秀選手賞に選ばれている。マテウスの全盛期とも呼べる時期だ。
しかし、マテウスが歴代最強のMFと呼ばれる所以は、その世界トップクラスの攻撃力だけでなく守備力、統率力も世界トップクラスだった点にある。圧倒的な走力でピッチを駆け回り、激しいタックルでボールを奪うだけでなく、優れたポジショニングで相手の攻撃の芽を摘み、味方を鼓舞し、操縦した。特にそのタックルは173cmの選手とは思えないほどド迫力で、タイミングが素晴らしかった。
ベテランに差し掛かると圧倒的なスピードこそ衰えたが、その優れたポジショニングと統率力でポジションを最後尾のリベロに移し、ピッチ上の指揮官として君臨した。攻撃面でも両足から繰り出されるピンポイントのロングパスが冴え渡るようになる。マテウスは十字靱帯の断裂からEURO1992の出場こそ断念したが、33歳にして再びドイツ代表のキャプテンとしてアメリカW杯に出場した。
その後ドイツのリベロとして唯一このマテウスを上回る能力を持って現れたのは1996年のマティアス・ザマーだろう。しかし、ザマーが負傷で引退を余儀なくされると、再びマテウスがドイツのリベロに返り咲いた。その後EURO2000で惨敗し40歳で引退するまで、マテウスを実力で上回るリベロは現れる事はなかった。最終的にマテウスがドイツ代表で積み上げたキャップ数は150にも上る。
マテウスがこれ程までに長い期間現役として活躍できたのは当時のドイツサッカーが深刻な人材不足に喘いでいたのも大きかった。ただ逆に言えば、マテウスという偉大な存在があったからこそ、ドイツは思い切った世代交代に踏み切れなかったとも言える。当時既に時代遅れと言われたリベロという概念も、マテウスの存在によってのみ存続し得たものだ。
マテウスの引退後も暫くドイツはリベロ+2枚のストッパーという守備システムこそ堅持したが、攻守において全権の自由を与えられてプレーする本物のリベロはマテウスが最後になる。その引退は偉大な選手が退いただけでなく、一つの時代が終わり、ドイツサッカーが転換する最初の契機にもなった。その長いキャリアにおいて戦術面、メンタル面でもドイツサッカーを形づけた選手でもあり、その栄光と挫折を体現した選手とも言える。