ドイツ最強の攻撃的リベロ、マティアス・ザマー

多くの人々にとって1990年代ドイツのリベロはローター・マテウスだろう。しかし、マテウスがリベロを務めたのはあくまで全盛期を過ぎてからだ。私にとってこの時代の最強のリベロはあくまで1996年のマティアス・ザマーである。活躍した期間こそ短かったが、このザマーがドイツサッカー史に残したインパクトは現在でも非常に強烈なものだ。

私が最初にザマーのプレーを見たのが1994年のアメリカW杯である。この大会27歳だったザマーは主に中盤の底でほぼ全ての試合で先発出場し、暑さで殆どの選手がグダグダに疲弊する中、驚異的なスタミナでひたすら溢れ球を拾いまくった。ベスト8で敗退したチームの中で数少ない及第点を得た選手のひとりだと言える。

そして、この後ザマーは所属するドルトムントでポジションを本格的にリベロに移して更にステップアップした。ザマーもマテウス同様、中盤からリベロへポジションを移した選手であり、もとより非常にバランスの取れた、極めて総合力の高い選手だった事は言うまでもない。

しかし、その中でも敢えてザマーの特徴を挙げるとすれば、やはり驚異的な走力と1対1の強さに加え、DFとしては稀に見る高い得点力を誇った点であろう。特に走力に関しては先に挙げた無尽蔵のスタミナに加え、爆発的な縦へのスピードを兼ね備えており、そのダイナミックさで言えば他の追随を許さない。マテウスを含めた当時の多くのリベロと異なり、ザマーは20代後半という早い段階でリベロとなった事が大きい。

また通常リベロと言えば、基本的にフィールドプレーヤーの最後尾にいるポジションであるが、ザマーは時折中盤まで迫り出す時間帯も多かったせいか、しばしば今でいう4バックのアンカーの位置で紹介される事も多々あった。ザマーは自ら激しいタックルでボールを奪い、ゲームを組み立て、そのスピードで最前線に飛び出し、多くの得点を上げた。ザマーこそ本物のリベロ=「自由」を体現した選手である。

そしてザマーは1996年ドイツ代表としてEUROを制し、この年のバロンドールにも選ばれている。ザマーは現時点でドイツ人選手として最後のバロンドール受賞者であり、現在でも数少ないDFとしての受賞者のひとりである。更にこの直後のシーズンはドルトムントでCLを制覇する偉業を達成した。決勝戦はジダン、デルピエロなどのスターを擁するユヴェントスに大方の予想を覆えして勝利している。

当然、1998年フランスW杯もザマーはドイツ不動のリベロとして出場する筈だったのだが、ここで予想外のアクシデントに遭遇する。ザマーは負傷した膝の手術の際に薬剤耐性菌であるMRSAに感染し、サッカー生命どころか命の危険にまで晒される深刻な状態に陥った。後年のインタビューによると、あらゆる抗生物質が効かず最後の1個が効果があった為幸いにも命を取り留めた。

ザマーは復帰を目指したものの、結局そのまま1999年に現役引退を余儀なくされた。通算で旧東ドイツで23キャップ、ドイツで51キャップを記録しており、旧東ドイツの選手として初めてドイツ代表に招集された選手でもある。また、クラブでもディナモ・ドレスデンで二度旧東ドイツのチャンピオンとなり、ドイツでもシュトゥットガルト、ドルトムントで優勝を経験した。

非常に際立った統率力、知性も備えた選手だっただけに、ベテランとなっても活躍が期待される選手でもあった。この不運が無ければ1998年フランスW杯は勿論、EURO2000ドイツのリベロはマテウスではなく、ザマーだった筈だ。感染症で引退を余儀なくされたのは非常に惜しまれる。

しかし、引退後も主にチームの幹部職として辣腕を発揮し、その手腕への評価は非常に高い。健康上の理由から現場にこそ復帰していないが、現在でも極めて発言力の高いレジェンドのひとりである。