アンゲラ・メルケル、ハーバード大学で渾身の演説を披露する

先週にドイツの首相であるアンゲラ・メルケルはアメリカ、ハーバード大学の卒業式においてスピーチを行い盛大な拍手喝采を浴びた。保護主義やナショナリズムを批判したこのスピーチは既に一部日本のメディアにも間接的に「反トランプ」を訴えたスピーチとして紹介されている。

しかし、それよりも個人的に興味があったのはここでメルケルは自身の首相としての任務の集大成とも言える渾身の演説を行った事だ。メルケルの首相としての任期は2年残されているが、後々の世代に引き継ぐ惜別のメッセージとも取れる内容である。

今回はドイツのテレビ局であるN-TVのウェブサイトにメルケルの演説の言葉がそのまま載っており、個人的に非常に興味深かった。私は翻訳家ではないので、若干ぎこちない部分もあるが、全文を紹介したい。メルケルは冒頭と終わりの部分を英語、それ以外はドイツ語で演説を行った。(最後の一節は英語でこれまでの内容を纏めた内容だったので、省略する)。

バコウ学長、フェローの皆様、理事会の皆様、同窓会の皆様、教職員の皆様、そして卒業生とそのご両親の皆様、本日は悦びの日です。この日は皆様ものです。心よりおめでとうございます!

本日この場にいられる事を大変うれしく思い、そしてまた今日は皆様に私の体験を幾つかお伝えしようと思います。このセレモニーは皆様の充実し、そして、ひょっとしたら厳しくもあった人生の一章の終わりを祝福するものです。今こそ新しい人生の扉が開く時です。それは胸を踊らせる、刺激的な事です。

ドイツの作家であるヘルマン・ヘッセは人生におけるこのような時のために、幾つかの素晴らしい言葉を残しています。私は彼の言葉を引用し、そして私の母国語でスピーチを続けて行きたいと思います。ヘッセは次のように書いています : 「全ての始まりには私たちを守り、生きる事を助ける魔法が宿っている」。

大学で物理学を学び24歳で卒業した時、私はヘルマン・ヘッセのこの言葉に感銘を受けました。それは1978年の事です。世界は西と東に別れていた冷戦の時代で、私は東ドイツで育ちました。ドイツ民主共和国、私の母国のうち当時自由がなく、独裁政治の下にあった方です。人々は抑圧され、監視され、政治的に反対する者は迫害されました。

ドイツ民主共和国の政府は、人々が自由へと逃亡する事を恐れていました。それ故にベルリンの壁を建てたのです。それはセメントと鉄からで来ていました。この壁を超えて行こうとし、発見されてしまった者は、逮捕されるか、射殺されました。このベルリンの中央にある壁は、民族 – そして家族を分断しました。私の家族も離れ離れになりました。

大学を最初に卒業したのち、私は物理学者として東ベルリンにある研究機関に勤め、ベルリンの壁のすぐ側に住んでいました。仕事を終えてからの家路で、私は毎日その壁に向かって歩いて行きました。その後ろには西ベルリン、自由が横たわっていました。毎日、壁のすぐ近くまで来た突き当たりで、私は家の方向へ向かって曲がらなければなりませんでした。毎日、自由のほんのすぐ手前でです。もう耐えられないと何度思ったことか。本当に不満でした。

私は反体制派の人間ではありませんでした。壁に反抗し、立ち向かう事もありませんでしたが、彼らを否定もしませんでした。自分に嘘はつきたくなかったからです。ベルリンの壁は私の可能性を限られたものに束縛し、文字通り私の前に立ちはだかったのです。しかし、ひとつだけこの壁がずっと阻む事が出来なかったもの : それは私の心に限界を作る事です。私の個性、想像力や憧れ – これら全ては禁止や強制などで束縛する事は出来なかったのです。

そして1989年、ヨーロッパの至る所で、皆の自由への意志が信じられない力を解き放ちました。ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、そして東ドイツでも数十万人という人々が勇気を持って路上に現れました。人々はデモを行い、壁を崩壊させたのです。私自身も – そして多くの人々が不可能だと思っていた事が、現実になったのです。かつては暗い壁だった所で、突然ドアが開いたのです。そして私にもそこへ立ち入る時がやって来ました。私はもはや自由の一歩手前で曲がって行く必要はなくなりました。私はこの境界を超え、開かれた場所へ行く事が出来るようになったのです。

30年前のその数ヶ月間、私は何一つ不変である必要はない事を実際に体験しました。この経験を、卒業生の方々、皆さまの未来のため、私のまず第一の考えとして伝えたいと思います : しっかり固定され、変わらないように見える事も、変わる事があるのです。

そして大なり小なり言える事ですが、全ての変革は頭の中で始まります。私の両親の世代はそれをとも痛切に学ばなければなりませんでした。私の父と私の母はそれぞれ1926年と1928年に生まれています。二人がここにいる皆さまの年齢の頃、ホロコーストによる文明の崩壊と第二次世界大戦が過ぎて行きました。私の母国、ドイツはヨーロッパと世界に想像を絶する程の苦しみをもたらしてきました。戦勝国と敗戦国が、長い間和解する事なく対立する可能性はどれほど高かった事でしょうか? しかし、その代わりにヨーロッパは数百年に渡る争いを克服しています。見せかけの国の強さの代わりに、連帯による平和秩序が誕生しています。あらゆる論争のたびに、また時に上手く行かず痛手を受けた際にでも、私たちヨーロッパ人は自らの幸福のために一つにまとまっている事に、私は確固とした確信を持っています。

ドイツとアメリカの関係も、どのようにしてかつての戦争の敵対国同士が友になれるかを示しています。これについては、1947年にこの場でのスピーチで表明したジョージ・マーシャルのプランが大きな役割を果たしました。この海を越えたパートナーシップは、民主主義と人権という私たちの価値観とともに、既に70年以上に渡って続く、誰にとっても有益な平和と豊かさの時代をもたらしました。

では今日はどうでしょうか?間も無く時間が経てば、私たちの世代の政治家が「リーダーシップの発揮」とい講義の対象ではなく、少なくとも「歴史におけるリーダーシップ」としての対象になるでしょう。

2019年にハーバード大学を卒業する皆様、皆様がたの世代が来たる21世紀の大きな課題に立ち向かう事になります。皆さまが私たちを未来へ導く人材になるのです。

保護主義や貿易戦争は私たちの自由貿易、それと共になる豊かさの基盤を危険に晒します。社会のデジタル化は生活の全ての分野に及ぶでしょう。戦争やテロリズムは逃亡や追放を導き、気候変動は自然生命の基盤を脅かします。この気候問題とそれに伴って大きくなってきた危機は我々人類によってもたらされました。つまり、私たちはこの人類の大きな問題を実際に制御下に置くために、人知の及ぶ全ての力を使い、行動を起こさなけれななりません。まだ可能性はあります。しかし、その為に皆がそれぞれ寄与し、そして– 私はこれを自らへの批判として言いますが – より上手く行わなねばなりません。それ故私は、私の国、ドイツが2050年に環境問題の改善目標を達成するために、全身全霊を傾けます。

私たち皆が取り組めば、良き事への変化は可能です。単独行動しても、それは上手く行かないでしょう。それを踏まえて、次が皆様のため私の第二の考えです: これからより一層、一面的ではなく多面的に考え、行動するべきです。ローカルではなくグローバルに、孤立ではなく世界に対してオープンに。端的に言えば : 単独ではなく皆でという事です。