アンゲラ・メルケル、ハーバード大学で渾身の演説を披露する

そして大なり小なり言える事ですが、全ての変革は頭の中で始まります。私の両親の世代はそれをとも痛切に学ばなければなりませんでした。私の父と私の母はそれぞれ1926年と1928年に生まれています。二人がここにいる皆さまの年齢の頃、ホロコーストによる文明の崩壊と第二次世界大戦が過ぎて行きました。私の母国、ドイツはヨーロッパと世界に想像を絶する程の苦しみをもたらしてきました。戦勝国と敗戦国が、長い間和解する事なく対立する可能性はどれほど高かった事でしょうか? しかし、その代わりにヨーロッパは数百年に渡る争いを克服しています。見せかけの国の強さの代わりに、連帯による平和秩序が誕生しています。あらゆる論争のたびに、また時に上手く行かず痛手を受けた際にでも、私たちヨーロッパ人は自らの幸福のために一つにまとまっている事に、私は確固とした確信を持っています。

ドイツとアメリカの関係も、どのようにしてかつての戦争の敵対国同士が友になれるかを示しています。これについては、1947年にこの場でのスピーチで表明したジョージ・マーシャルのプランが大きな役割を果たしました。この海を越えたパートナーシップは、民主主義と人権という私たちの価値観とともに、既に70年以上に渡って続く、誰にとっても有益な平和と豊かさの時代をもたらしました。

では今日はどうでしょうか?間も無く時間が経てば、私たちの世代の政治家が「リーダーシップの発揮」とい講義の対象ではなく、少なくとも「歴史におけるリーダーシップ」としての対象になるでしょう。

2019年にハーバード大学を卒業する皆様、皆様がたの世代が来たる21世紀の大きな課題に立ち向かう事になります。皆さまが私たちを未来へ導く人材になるのです。

保護主義や貿易戦争は私たちの自由貿易、それと共になる豊かさの基盤を危険に晒します。社会のデジタル化は生活の全ての分野に及ぶでしょう。戦争やテロリズムは逃亡や追放を導き、気候変動は自然生命の基盤を脅かします。この気候問題とそれに伴って大きくなってきた危機は我々人類によってもたらされました。つまり、私たちはこの人類の大きな問題を実際に制御下に置くために、人知の及ぶ全ての力を使い、行動を起こさなけれななりません。まだ可能性はあります。しかし、その為に皆がそれぞれ寄与し、そして– 私はこれを自らへの批判として言いますが – より上手く行わなねばなりません。それ故私は、私の国、ドイツが2050年に環境問題の改善目標を達成するために、全身全霊を傾けます。

私たち皆が取り組めば、良き事への変化は可能です。単独行動しても、それは上手く行かないでしょう。それを踏まえて、次が皆様のため私の第二の考えです: これからより一層、一面的ではなく多面的に考え、行動するべきです。ローカルではなくグローバルに、孤立ではなく世界に対してオープンに。端的に言えば : 単独ではなく皆でという事です。

卒業生の皆様、皆様は未来に私たちの世代とは全く異なるチャンスを手にしています。多分皆さまのスマートフォンは私が1986年に東ドイツで博士論文の為に使用できた大きなソ連製パソコンよりも遥かに優れたパフォーマンスを持っています。

今日、私たちは病気の症状に従って百万単位の画像を検索し、例えば癌をより正確に診断する為に人工知能を利用しています。将来的には自立したロボットが、より一人一人の個人的な要求に集中するために医師や介護士を助ける事ができるかもしれません。どのような応用が可能かどうか、全く予測はできません。しかし、これと結びつくチャンスは本当に息を呑むほどです。

卒業生の皆様、私たちがこのチャンスを利用できるかどうかは、大いに皆様にかかっています。皆さまこそが、私たちがどのように働き、コミュニケーションを取り、私たちが前進していくか、そう、どのように生き、発展して行くかを共に決定するのです。

ドイツの首相として私はしばしば自分に問いかけます。私は正しいことをしているのだろうか?私は正しいから何かをしているのか?それとも単にそれが可能だからなのか?皆様も自分自身に何度も繰り返し問いかけるべきです – そして次が私の今日三番目の考えです。私たちが技術のルールを設定するのか、それとも技術が私たちが共に生きることを決定するのか? 私たちは人間をその尊厳とあらゆる観点において中心に据えるのか、それともそのうちの顧客となる対象、データの源、監視対象となる物だけを観察するのか?

それは難しい問題です。私は、もし私たちが常に他者の視点で世界を観察すれば、私たちが他者の歴史、伝統、宗教、アイデンティティに敬意を持ち、私たちがしっかりと自分たちの変わる事のない価値観に基づき、それに従って行動すれば、そしてもしも私たちが決定に対する重圧の下でも、常に最初の衝動に囚われることなく、ひととき手を休め、沈黙し、熟考し、休息したならば、難しい問題にも答えを出すことが出来る事を学びました。

もちろん、その為には大きな勇気が必要です。特にそれは他者に対して、そして– もしかしたら最も重要な事ですが – 自分自身に対して誠実である事が必要になります。それを始めるのに相応しいのは、世界中から真実というモットーの下、多くの若い人々が学び、研究し、私たちの時代の疑問について議論をしている、まさにこの場以外にあり得ないでしょう。そこに含まれるのは、嘘を真実だと、そしてまた真実を嘘と呼ばないこと、それによる弊害を私たちの常識として受け入れない事です。

にほんブログ村 海外生活ブログ ドイツ情報へ