16年の長期政権を築いたアンゲラ・メルケル、遂に政界から退く

ドイツに新たな連立政権が成立し、首相がオラフ・ショルツになった事でアンゲラ・メルケルによる時代が正式に幕を閉じた。16年と4週間という期間はヘルムート・コールに継ぐ史上2位の長さになる。私がドイツに住むようになってからも殆どの期間はメルケル政権下であり、個人的にもまさに一つの時代が終わったという感がある。

メルケルの政治については色々と賛否両論はあるだろうが、これだけの長い期間、首相を務めたと言う事実は賞賛に値するだろう。更に言えば、この間はリーマンショックやギリシャ危機、難民問題と来て、締めに新型コロナ・パンデミックと言う、国の存亡を左右する危機の連続だった。

一般的にメルケルは多くの敵対勢力とも協調しながら、妥協をすると言う点で非常に優れた能力を発揮したと言われている。自らのはっきりとした政治色が分かりにくい人物でもあり、過度に注目を集める発言も少ない、極めて地味なタイプのリーダーであった。

しかしながら、メルケルは重大な局面で世間をあっといわせる大きな決断を頑として貫き通した。個人的に印象に残っている決定が2つある。

まずは2011年の脱原発である。当時の政権でメルケルは原発の稼働延長を決定したばかりだったが、福島の原発事故直後にさまざまな反対を押し切って一気に脱原発へ舵を切った事は既に皆が知るところであろう。メルケルは国会において、高い技術を持つ日本で原発事故が起こった事が、この方針転換の理由だと述べた。

もっとも、この決定においては我々庶民の電気代はかなり上昇し、更に地球温暖化の問題が顕在化してきた事で、現在でも物議を醸す決定となっている。長期的に見れば自然エネルギーへの転換は必要な事とは言え、ドイツはこの後更に脱カーボンの発電も決定しており、近い将来に再び電気代の上昇が落ち着く事は無いだろう。

もう一つは、言うまでもなく2015年の難民受け入れ決定だろう。この決定は知っての通り国内で大きな物議を醸しただけでなく、実際のテロなどにも繋がった事で国内の治安に大きな不安が広がった。

更にこの後にAfDと言うポピュリスト連中が台頭し、同胞であるCSU党首ホルスト・ゼーホーファーまでも難民の受け入れを制限すべきと猛反対した事で、当時の政権のに大きな亀裂となった。しかしメルケルはここでゼーホーファーにほぼ一切の妥協を見せなかった事で、最終的にメルケル政権が終焉に向かう決定的な要因の一つになった。

これらの決定は我々庶民の生活に大きな影響を及ぼしているもので、まさに賛否両論意見が分かれるものだ。ただこの件に関して、私が見る限りメルケルはどんな反対や罵声を浴びせられても一切のブレを見せなかった。

その16年間、全てが上手くいった訳ではないが、それは何処の国も同じ事だ。とりわけさまざまな危機がありながらも、財政均衡を維持し、記録的な経済成長を続けたと言う点は大きく評価されて然るべきだと思っている。また外国人の流入が増えた事で、再びドイツ的な価値観、文化が見直されるきっかけにもなった事は、個人的には肯定的に捉えている。上記に挙げた決断の評価は、次世代に引き継がれる事になるだろう。

政界引退後メルケルは自らの政治におけるバイオグラフィーを著述する事を明らかにしている。これはジャーナリストなどの介入を除く完全に自らの言葉で記述とされ、上記に挙げた決定の背景など、非常に興味深いものになる事は間違いない。