努力と知性で頂点へ登り詰めたストライカー、ミロスラフ・クローゼ

クローゼようやくステップアップしたのは2004年に当時強豪だったヴェルダー・ブレーメンに移籍してからだろう。クローゼは移籍当初こそ苦しんだものの、程なくイヴァン・クラスニッチとの2トップでリーグ最強の攻撃陣を形成し、チャンピオンズリーグでの経験も積んだ。

2005/2006シーズンは25得点で得点王になるだけでなく14アシストを記録し、スコアラーポイントでもトップとなった。この頃は既にかつてのヘディングだけの選手から完全に脱皮しており、地上戦にも強く周囲を活かす事にも長けたドイツNr.1のFWに成長した。身体も一回り大きくなった印象で、もともと高かった身体能力を活かして相手を競り合いから振り切って得点するシーンも更に増えるようになる。ストライカーとしてクローゼの全盛期と呼べる時期だ。

そしてこの年、クローゼは押しも押されもせぬドイツ代表のエースストライカーとして2006年の自国W杯を迎える事となる。そしてこの大会、クローゼは4年前から格段にレベルアップした姿を世界のファンに見せた。

まずはグループリーグの3試合で冷静な決定力を見せて足で4得点を上げただけでなく、ベスト16のスウェーデン戦では素早い飛び出しと絶妙なアシストで2得点に絡む活躍を見せ、MOMに選出された。そして迎えた準々決勝のアルゼンチン戦、クローゼは自身のキャリアにとっても、ドイツサッカー史にとっても極めて重要な得点を決める。

後半1点を先制されドイツの敗色が濃厚となってきた81分、スローインからバラックが中央にクロスを送る。これをボロウスキが後方へ流し、クローゼはマークしていたソリンより一瞬早くこれに頭で飛び込み同点に追いついた。

クローゼはそれまでのキャリアで弱小国、中堅国に対しては得点するが、強豪国に対して全く得点出来ないと揶揄されていた。しかし、W杯という大舞台でアルゼンチンという強豪、この大会の優勝候補の一角を相手にして、極めて重要な同点ゴールを決めた。クローゼが遂に世界レベルのストライカーと認知された瞬間である。そしてPK戦に持ち込んだドイツは6年ぶりに世界の強豪国に勝利し、長い低迷期から抜け出す事に成功した。

その後クローゼは全盛期の爆発的な身体能力こそ衰えたものの、依然としてドイツNr.1のFWとして遂にドイツの盟主であるFCバイエルンに移籍し、ここでイタリアのエース、ルカ・トーニと2トップを組んだ。当時は同じポーランド出身の若手ポドルスキとポジションを争う格好となったが、最終的にはポドルスキが出場機会を求める形でケルンに移籍した。

しかし、2008年にファン・ハールがFCバイエルンの監督に就任すると、トーマス・ミュラー、マリオ・ゴメスの台頭でクローゼの出場機会は激減する。2014年のインタビューによると、ファン・ハールはクローゼにFWと言うよりも2列目の役割を要求しており、非常に戸惑ったといった旨の回想をしている。年齢的にも既に30歳を超えており、力の衰えは明らかだった。

このクラブで完全に干された状態でクローゼは2010年に3度目のW杯を迎える事になる。キャプテンのバラックが怪我で欠場が決まったこの大会は年齢、経験から言えばクローゼがキャプテンになる筈だったが、クラブで干されている選手をキャプテンにする訳には行かずラームがキャプテンとなる。クローゼはクラブ同様、ベンチを温める事が予想された。

しかし、監督であるヨアヒム・レーヴはここでファン・ハールとは全く逆の決断を下し世間を驚かせた。FCバイエルンでスタメンのゴメスをベンチに座らせ、逆にクローゼをスタメンに起用した。そして、ここでクローゼは再び世間の低評価を覆す活躍を見せる。

クローゼはこの大会、4-2-3-1システムのワントップとして出場し、大会を通じて4得点を上げた。特にベスト16のイングランド戦でノイアーのゴールキックを相手DFと競り合いながら直接相手ゴールに流し込んだ得点は全盛期の身体能力の高さを垣間見せたと言える。しかし、全体的に言えばクローゼは自らが得点するよりも、巧みな動きで2列目の選手にスペースを作るという黒子としての役割でチームに貢献した。