知っての通り、先の3月11日の木曜日で東日本大震災から10年が経った。この被災者の方々の悲しみと苦労は如何ばかりのものだったか、心から追悼と復興をお祈りしたい。当然ながらドイツのメディアもこの節目の年に震災を振り返っている。とりわけ、福島原子力発電所の事故は衝撃的で、ここからドイツは国策を一気に「脱原発」に転換するに至ったのは周知の事実である。
因みに、脱原発に舵を切るにあたり当時首相だったメルケルは国会で以下のようなコメントを残している。
In Fukushima haben wir zur Kenntnis nehmen müssen, dass selbst in einem Hochtechnologieland wie Japan die Risiken der Kernenergie nicht sicher beherrscht werden können.
福島の事故において、私たちは日本のような高いテクノロジーを持つ国でさえ原子力のリスクを確実に制御できないという事実を認識しなければならなかった。
ドイツは1986年に既に旧ソ連のチェルノブイリ原発事故を経験しており、とりわけバイエルンの土壌は放射性物質を含んだ雨で汚染されたとされる。現在でも一部のキノコや野生動物からは高い値が検出されるそうだ。それでも、ドイツは原発を辞めなかった。
何が言いたいかといえば、日本で原発事故が起こったからこそ、ドイツは脱原発を決断した。他の国での事故なら、そこまでにはならなかったという事である。物理学の学者でもあるメルケルは、日本でも無理、つまりドイツに原発を管理出来る訳がないと判断した。この脱原発の是非に関しては色々と意見があるだろうが、これは当時日本の技術力、管理能力が高く評価されていた結果でもある。
さて、肝心の脱原発であるが、当時22%だった原発からの電力の割合は現在では11%に減少し、2022年には予定通り全ての原発が停止される事になっている。当初は褐炭や石炭による発電が増えたため、二酸化炭素の排出が増えたが、これも2015年以降は減少しており2038年の脱炭素による発電も決定した。
再生可能エネルギーの割合は現在では全体の半分にまで達しており、色々と問題や困難の中でも確実に前進しているという印象を持っている。自然エネルギーは不安定とよく言われるが、私はこれまで一度も国から節電を要請された覚えはないし、停電も記憶にある限り過去10年間でほんの僅か、夏場に数分間だった。
よくドイツは脱原発で他国から電力を輸入して凌いでいるという話も聞くが、ドイツは2002年以降、年単位でみれば常時電力の輸出が輸入を超過している。それどころか、冬場に大寒波が来れば逆に原発大国のフランスはドイツから電力を輸入して凌ぐという事態が発生する。これはフランスは冬に最も重要な暖房のエネルギーを電力で賄っているらしく、冬場で皆が一斉に暖房を使い始めると、電力が足りなくなるからだ。一方のドイツはフランスより寒いが、暖房は殆どガスや地熱である。
少なくとも私がドイツで生活していて、電気が不足して困ったという事態に遭遇したことは過去10年間で一度もない。そもそも、安い電力の大量消費を前提としたシステムが、必ずしも生活の快適さを意味する訳ではなく、電力を使わずに生活を快適にする方法は幾らでもある。
とは言え、脱原発により過去10年間でドイツの電気代が上昇したのは紛れもない事実だ。値上げは毎年小出しにして実施されるので、どの程度上がったのか私も正確に把握していないが、多分トータルで見れば相当上がっている。しかし、私が現在月に払っている電気代はおよそ90ユーロ、日本円にして11500円である。おそらく、日本の4人世帯と比較してもそれほど大きい金額ではない筈だ。
そもそも、昨年を除けば過去10年間の景気は記録的に良かったので、電気代のみならず、全てのサービスや物の価格は上がった。私が寧ろ許せないのは馬鹿上がりした不動産価格や家賃であり、これは多くの人々の生活が破綻するレベルだ。それに比べれば電気代は遥かにマシな部類に入る。故に、よく言われるような、ドイツで我々庶民が脱原発により生活が破綻しているような事実はないと言っておきたい。
個人的には、原発などと言うとても人間の手に負えないような代物からはさっさと手を引き、多くの金額を投資してでも再生可能エネルギーを推進する事には賛成だ。10万年も放射性物質を発する核廃棄物はどうやって処理されるのか。人間には関係のない地中深くに埋めれば問題ないと言うが、そのような人と私は根本的な世界観が異なる。そんなおぞましい物自体、存在するべきではない。
しかし、結局のところ、ドイツだけが脱原発をしても隣国のフランスは原発大国だ。ドイツとの国境にも多くの原発が建っており、事故が起こればドイツも甚大な被害を受ける。そのような状況であるうちは、如何にドイツが脱原発を首尾良く達成したとしても、結局は成功したとは言えないのだ。つまり、脱原発という巨大プロジェクトは、他国が手本にし追従してこそ初めて、やっと意味が出てくる。しかしそれは多分、ずいぶん先の話になるだろう。