現在のドイツ代表はミロスラフ・クローゼの引退以降、深刻なFW不足に悩んでいるが、かつては多くの大型かつ優秀なセンター・フォワードが存在した。その中でもまさに規格外と言えるほどのヘディングの強さを誇ったFWがオリヴァー・ビアホフである。
191cmの長身から繰り出されるそのヘディングは圧倒的な高さ、精度、強さを誇り、全盛期はもはや「分かっていても止められない」類のものだった。低迷期だったドイツ代表の攻撃パターンはクロスをビアホフの頭に合わせるか、それを囮りにして別の誰かを飛び込ませるかの形にほぼ限定される程、ビアホフの頭は絶対的な型として機能した。このヘディングの強さだけなら世界でも歴代屈指のFWのひとりに数えられる。
また、ビアホフはその驚異的なヘディングの強さから足元の技術は下手だと思われがちだが、あくまで私の印象からすれば決して下手ではなかった。中央にどっしりと構えながらのポストプレーなどは非常に上手く、キープ力、足でのシュートの精度も非常に高かった。私の中では世間一般に思われているような不器用で泥臭いタイプとはちょっと違う。
このビアホフの名前が世界的に知られるようになったのはEURO1996決勝のゴールデンゴールだろう。チェコを相手に0-1の劣勢で後半途中から投入されたビアホフはその3分後に得意のヘディングから同点ゴールを決め、延長戦でゴール正面から振り向きざまに左足でシュートを放ち、このボールはGKの手を弾いてゴールに転がり込んだ。
これはGKのミスとも呼べる幸運なゴールだったが、本人曰く「このゴールで人生が変わった」と言えるほど大きな転機となった。この時ビアホフは28歳、代表のデビューもその年の2月であり、非常に遅咲きの選手だったと言える。2年後の1998年W杯は30歳ながらドイツの数少ない新戦力のひとりとして出場し3得点を上げた。
クラブではそのキャリアの殆どイタリアで過ごし、1995年から1998年まで所属したウディネーゼで86試合で57得点という高い得点率を叩き出した。この最終シーズンに27得点で得点王に輝いている。当時世界最強と呼ばれたセリエAで、バッジョ、デル・ピエロ、バティストゥータ、怪物ロナウドを押し除け得点王に輝いた実力は決して過小評価してはならない。
更に得点王になった翌シーズンには監督のザッケローニと共にACミランに移籍しイタリアのチャンピオンにも輝いた。ザッケローニもビアホフを中心とした3-4-3システムで監督としての評価を大きく上げる事に成功しており、両者は切っても切れない関係だったと言える。このザッケローニのトレードマークでもある3-4-3はビアホフという強力なセンター・フォワードの存在があってこそで、当時その実力を正当に評価したファンがどれ程いるのだろうか。
もっとも、ビアホフはそのヘディングの強さから中央にデンと構えて殆ど動かず、派手な技術で目立つタイプの選手ではなかった。加えてビアホフ中心の戦術はその頭を目掛けた高いボールが多用される故に退屈になる傾向があった事は否めない。勿論これはビアホフ自身の責任ではないが、それが当時実力の割には評価されなかった要因かもしれない。
また、ビアホフが実質高いレベルで活躍した時期は3年程度で、それもドイツ低迷期のほぼ「ど真ん中」に当たってしまった事も不運だと言えるだろう。EURO2000はキャプテンとして出場したが、怪我などもあり思うように活躍できずチームも惨敗した。2001年には解任された恩師ザッケローニの後を追う形でACミランを退団し、2003年ヴェローナで引退となった。
しかし、2002年には控え選手ながらW杯メンバー入りし、準優勝に輝いている。ドイツ代表は合計70キャップ、37得点を上げた。ドイツ歴代でも最強のヘッダーであると同時に、クラブでも当時のセリエAで名を為せたのは、やはりFWとしての高い総合力があってこそだろう。現在のドイツ代表は、まさに当時のビアホフのような大型のセンター・フォワードを必要としている。
一方、ビアホフはサッカー選手としてのキャリアを続けながら、ハーゲンの通信大学を卒業するという能力の持ち主で、引退後2004年以降ははドイツ代表のチームマネージャーを務めた。2018年のロシアW杯惨敗の際にはマーケティング戦略の失敗で批判も浴びたが、現在でもドイツ代表マネジメントにおける重職に就いている。