驚異的なスーパーセーブを連発した名GK、オリヴァー・カーン

オリヴァー・カーンは1990年台後半から00年台前半にかけて活躍したドイツの名GKである。クラブでは主にFCバイエルンで1994年から2008年まで626試合に出場し、ドイツ代表では86キャップを記録した。この時期はドイツの低迷期とも重なり、あくまでフィールドプレーヤーに関しては深刻な人材不足に悩まされたが、全盛期のカーンは名実ともに世界最高のGKだった事に疑いの余地はないだろう。

私が初めてカーンを見たのは2001年のトヨタカップ、FCバイエルン対ボカ・ジュニアーズとの試合だ。この試合でカーンは相手FWと1対1となり飛び出し、相手を倒したかに見えたが、直前で足をスッと引き、この相手FWをシュミレーションで退場に追い込んだ。そのような高度なプレーを見た事がなかった私は非常に驚嘆した事を覚えている。

そのカーンのGKとしての特徴は何と言っても驚異的な反応から繰り出されるスーパーセーブだろう。その手足をいっぱいに伸ばしたブロック、空中で止まるかのようなダイナミックな横っ飛びで何度も信じられないようなセービング、更にはキャッチングを見せた。また、その前の段階で相手を威圧しながら優れたなポジショニングでシュートコースを巧みに切り、ミスを誘うのも非常に上手かった。

一方で、前方の高いボールや正面へのブレ球に関してはキャッチに行かず安全にパンチングで逃げた。キックの精度が悪いという印象は無かったが、足元の技術は決して高いとは言えず前方に出る事は稀であった。ゴールライン付近で仁王立ちし、あくまでもシュートを防ぐという点で無類の強さを発揮したタイプだと言えよう。

その他にもカーンは異常なまでの勝利への執着心、飽くなき向上心からか、自らを含めた誰に対しても厳しい態度を示す選手として知られていた。これらは超一流のプロとして高く評価されていた一方で、余りにも度が過ぎて奇抜な言動や、攻撃的なピッチ上での振る舞いで目立つ選手でもあり、度々世間に物議を醸した。その実力のみならず、これらのパフォーマンスでも記憶に残る選手だと言え、ドイツでは「タイタン」という愛称が定着している。

そして、このカーンのキャリアにおけるハイライトと言えば、やはり32歳で迎えた2002年日韓W杯での活躍だろう。この大会に臨むドイツ代表は間違いなく史上最弱であり、グループリーグ敗退が懸念される実力だった。しかし、カーンは毎試合人間離れしたスーパーセーブを連発してドイツを決勝戦まで導いた。

特に準々決勝のアメリカ戦は前半から大ピンチの連続で、GKがカーンで無ければ間違いなく大差で敗北していただろう。試合はバラックが前半終了間際にセットプレーからド迫力のヘディングを叩き込み奇跡的に勝利した。

しかし、そのバラックが累積警告で出場停止となった決勝のブラジル戦、カーンは後半リバウドの正面のミドルシュートをキャッチミスし、こぼれ球をロナウドに押し込まれて失点を許した。この試合ドイツは戦前の予想を覆す望外の健闘を見せただけに、このカーンのミスは非常に悔やまれるものになった。しかし、この唯一のミスでカーンがこの大会見せてきた驚異的なプレーが色褪せるものではなく、GKとして初の大会MVPにも選出された。

そしてもう一つ、カーンのキャリアを振り返る上で忘れてはならないのが、ドイツ代表におけるライバル、イェンス・レーマンとの正GK争いだろう。それまではカーンが常に正GKであり、レーマンは常に2番手という序列だったが、2004年に監督に就任したユルゲン・クリンスマンは2006年の自国W杯に向けて、両者を競わせること事を公にした。これで、およそ2年間に渡るドイツ代表の前代未聞の激しい正GK争いが切って落とされた。

というのも、カーンとレーマンはドイツ代表でライバルと言うだけでなく、両者とも極めてアクの強い個性的なキャラクターで知られており、その仲は険悪と言われていた。事実、インタビューなどで特にレーマンはカーンに対するライバル心を剥き出しにし物議を醸した。その中でもクリンスマンはこの間常にGKをローテーションで回して両者の競争を促した。

しかし、2003年レーマンはイングランド、プレミアリーグの雄アーセナルに移籍し、チャンピオンズリーグでも安定したパフォーマンスを見せる事に成功、ベテランながら自らのレベルをもう一段階上げることを印象付けた一方で、カーンはW杯直前のシーズン絶不調に陥りミスを連発するなど精彩を欠いた。カーンの実績は捨てがたいが、W杯本番も近づくにつれ、レーマンが正GKという世論が形成されつつあった。

また、カーンは後方から味方を大声で鼓舞し、ゴールライン付近であくまでシュートを止める事に強みを発揮したクラシックなGKだが、足技にも優れたレーマンはしばしば前方へ飛び出し、フィールドプレーヤーと連携しながら素早い攻守の切り替えを実現する現代的なGKだった事も指摘しておきたい。当時改革期であったドイツ代表のコンセプトにはレーマンのプレースタイルの方が適していた事は明らかだった。

そして2006年の4月、予定より一ヶ月早く監督のクリンスマンはレーマンが正GKとなることを決定し、世間を巻き込んだおよそ2年間に渡る正GK争いは決着が着いた。それまでビッグトーナメントで不動の正GKだったカーンは当然ながらこれに落胆し、数々の常識を覆す改革を断行したクリンスマンでさえ、それまでで最も難しい決断だったと述べた。

この結果、カーンがW杯を前にして代表を引退するのではないかと世間では憶測された。異常なまでに厳しく、プライドの高そうなカーンがベンチに座って味方サポートする姿など、当時は想像できなかったからだ。しかし、カーンはチームの為にサブとしてでもメンバー入りしたいとの意向を明らかにし、世間を良い意味で驚かせた。

更にカーンは本大会でもドイツサッカー史上に残る名場面を演出した。準々決勝のアルゼンチン戦、カーンがPK戦に臨むレーマンに寄り添い励ます姿がテレビに映し出され、ここでも国民はこれまでのイメージにないカーンの姿を目の当たりにする事になる。そしてこの大会の3位決定戦のポルトガル戦に出場したカーンは、試合後のインタビューで自らの代表引退を発表した。

詰まるところ、カーンはGKとしては超一流との評価を得た一方で、そのピッチ上での奇抜な振る舞いや言動で決して皆から好かれた選手ではなかったが、この2006年W杯の一連の振る舞いで世間からの高感度を著しく上げる事に成功した。これは仮に計算された行動だったとしても、選手としてキャリアで最も難しい状況を、逆に高い人間としての評価に昇華させた非常に優れたマーケティングだったと言えるだろう。これはカーンの引退後のキャリアに多くのポジティブな効果をもたらした事は間違いない。

ドイツ代表を引退したのち、カーンは2008年までFCバイエルンでのプレーを続け現役引退し、引退後は自らの会社を設立する一方でドイツ第二放送ZDFの解説者としてお茶の間へ登場している。ここでは特に選手個人のメンタル面やGKの技術に関する解説が秀逸だと言う印象を持っている。この解説業は現在でも続けており、この仕事に対する周囲の評価も非常に高い事を窺わせる。

そして今年の1月、カーンはFCバイエルンの取締役に就任し、将来的にはルンメニゲの跡を継ぐ最高責任者としてクラブの全権を任される事が確実視されている。現在のところは就任間もない事もあってか表舞台に登場することはまだ少ないが、今後サッカー界でカーンの名前はメディアに頻繁に登場する事になるだろう。