先月末の話なのでやや遅ればせになるが、世界に物議を醸した脱原発から約8年、政府による専門委員会は2038年までの石炭、褐炭による発電を停止を決定した。これはいわゆるドイツ語で= “Kohlenkomission”、訳すならば「石炭委員会」と呼ばれる政府が設置したコンサルティング委員会による決定である故、ドイツ政府は必ずしも100%その計画通りに動くとは限らない。しかし、脱褐炭、脱石炭による発電に向けたガイドラインが決定したと言う意味で、非常に重要な意味を持つと言えるだろう。
この決定の背景には、ドイツがCO2の削減に関して思うように成果を出せておらず、とりわけ地球温暖化対策を定めたパリ協定を遵守できる見通しが全く立っていないという事実がある。その中でも最も問題視されていたのが褐炭、石炭による発電であり、これだけで全体の排出量の4分の1以上を占めているとされる。
このため脱褐炭、脱石炭による発電は既に遅かれ早かれ実現せねばならない事は既に周知の事実だった。1月末の時点でZDFの調査によると、国民の4分の3が「出来るだけ早い脱褐炭、脱石炭は(非常に)重要」と回答した。
因みにここで逆に「(全く)重要でない」と回答したうちの多くは予想通りAfDの支持者である。要するに地球温暖化はのっけからデマだと考えていると推測される。
しかし、ひとまずそのような基本的な世界観が全く異なる人々を除いても、この脱褐炭、脱石炭に関しては各分野の利害が絡みあい、これまでその議論は非常に紛糾していた。当然環境保護団体は一刻も早い脱石炭、脱褐炭を主張する一方で、エネルギー企業をはじめとした経済系の団体は雇用を保護するなどの理由でこの先延ばしを主張した。つまり、「いつ」、「どのように」これを実現するかが問題となっていた訳である。
というのも、まずドイツで褐炭、石炭は徐々にその利用を減らしながらも長年の間非常に重要なエネルギー源として利用されてきた。とりわけ、ドイツの褐炭の埋蔵量、採掘量は世界でも屈指である。ウィキペディアによると少なくとも2012年はロシアや中国、アメリカなどを差し置いて採掘量で世界一だった。
ドイツ語で「炭」を意味する単語は”Kohle”だが、これは俗に「お金」の意味としても使われる。まさに褐炭が伝統的に極めて重要な資源である事を表しているだろう。
実際に現在でも地域経済がこの褐炭の採掘に依存している地域がある。例えば、オランダ、ベルギーとの国境近くケルンの西よりの地域や、旧東ドイツのコットブス周辺などだ。褐炭の採掘がストップすれば、ここで大量の失業者が発生する。また、褐炭による発電はかなり安いと言われており、これがストップすれば当然電気代の値上がりが予想される。
そういうわけで、政府は経済、環境、学問、労働組合といった分野の代表者によって構成される委員会を設置して妥協点を探っていた。そして最終的に数百億ユーロという大量の税金を投入し、褐炭石炭に依存している地域に新たな雇用を創設、かつ我々一般納税者への負担を抑えながら、2038年に褐炭、石炭による発電を停止するという決定に至った。
そして予想通り、この脱褐炭、脱石炭はかなり「高くつく」と言われ、その先行きが懸念されている。つまり将来的に我々納税者の負担増は避けられないという事だ。首相のメルケルも「これまでと同じように行けば、挫折する」と極めて慎重な発言をした。アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルも脱原発に続いて脱褐炭、脱石炭を決定したドイツを“world’s dumbest energy policy”、つまり「世界で最も馬鹿げたエネルギー政策」と辛辣に批判した。
確かに、このようなドイツの国の行く末を左右する決定に対し辛辣な言葉で批判が巻き起こるのは今に始まった事ではない。例えば難民の受け入れにしても、脱原発の決定の際も一部から散々な言われようだった。実際にこれらのすべてが思い通りに運んでいる訳ではないので、それも一部は的を射ているのかもしれない。
しかし仮に難民問題でドイツの国境部隊が押し寄せる難民、それも女性や子供に催涙ガスや放水機を使用する映像が世界に拡散したらどうなるのか。おそらくそれは国内の問題では済まない。或いは脱原発にしても、当時メルケルは日本のようなテクノロジーの進んだ国でさえ事故が起こるのだから原発のリスクは高すぎると述べた。実際に再び事故が起こらないなど、誰も言い切れない。
多くの人がドイツの決定は実現不可能な理想と馬鹿にするが、私から言わせれば必ずしも「正しい」とは言わずとも、長期的に見れば最も「無難」かつ「堅実」だと認識している。
また、2011年の脱原発の時も相当「高くつく」と悲観的な見方が多く、確かに電気代は上がっている。しかし詰まるところ、電気代だけではなく、生活に関わる全てのサービスの価格は上がっている。経済状況が良好で全体の所得が増えているのだから当然だ。その中で言えば、電気代の上昇はまだマシな部類に入る。
それどころか電気代だけならば、日本で一人暮らししていた時の方が、家族持ちの現在よりも多く払っていた。そもそも「豊かな生活」=「電力の大量消費」とは認識していない。
脱褐炭、脱石炭にしても地球温暖化の問題が将来的に次世代の存亡に関わる深刻なものになると考えれば、我々納税者がこの構造改革に負担するのもやむを得ない。もちろん、今後経済が落ち込む可能性は十分にあるが、もう何年も連続で国家財政は黒字だ。今新たなエネルギー政策に投資するのは一納税者の立場から言って決して馬鹿げた話などではない。少なくとも、目先の利益に固執し現状を放置しておく方が、よほど不安になると言っておく。