脱原発に続き、2038年までに脱炭素での発電を目指すドイツ

そういうわけで、政府は経済、環境、学問、労働組合といった分野の代表者によって構成される委員会を設置して妥協点を探っていた。そして最終的に数百億ユーロという大量の税金を投入し、褐炭石炭に依存している地域に新たな雇用を創設、かつ我々一般納税者への負担を抑えながら、2038年に褐炭、石炭による発電を停止するという決定に至った。

そして予想通り、この脱褐炭、脱石炭はかなり「高くつく」と言われ、その先行きが懸念されている。つまり将来的に我々納税者の負担増は避けられないという事だ。首相のメルケルも「これまでと同じように行けば、挫折する」と極めて慎重な発言をした。アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルも脱原発に続いて脱褐炭、脱石炭を決定したドイツを“world’s dumbest energy policy”、つまり「世界で最も馬鹿げたエネルギー政策」と辛辣に批判した。

確かに、このようなドイツの国の行く末を左右する決定に対し辛辣な言葉で批判が巻き起こるのは今に始まった事ではない。例えば難民の受け入れにしても、脱原発の決定の際も一部から散々な言われようだった。実際にこれらのすべてが思い通りに運んでいる訳ではないので、それも一部は的を射ているのかもしれない。

しかし仮に難民問題でドイツの国境部隊が押し寄せる難民、それも女性や子供に催涙ガスや放水機を使用する映像が世界に拡散したらどうなるのか。おそらくそれは国内の問題では済まない。或いは脱原発にしても、当時メルケルは日本のようなテクノロジーの進んだ国でさえ事故が起こるのだから原発のリスクは高すぎると述べた。実際に再び事故が起こらないなど、誰も言い切れない。

多くの人がドイツの決定は実現不可能な理想と馬鹿にするが、私から言わせれば必ずしも「正しい」とは言わずとも、長期的に見れば最も「無難」かつ「堅実」だと認識している。

また、2011年の脱原発の時も相当「高くつく」と悲観的な見方が多く、確かに電気代は上がっている。しかし詰まるところ、電気代だけではなく、生活に関わる全てのサービスの価格は上がっている。経済状況が良好で全体の所得が増えているのだから当然だ。その中で言えば、電気代の上昇はまだマシな部類に入る。

それどころか電気代だけならば、日本で一人暮らししていた時の方が、家族持ちの現在よりも多く払っていた。そもそも「豊かな生活」=「電力の大量消費」とは認識していない。

脱褐炭、脱石炭にしても地球温暖化の問題が将来的に次世代の存亡に関わる深刻なものになると考えれば、我々納税者がこの構造改革に負担するのもやむを得ない。もちろん、今後経済が落ち込む可能性は十分にあるが、もう何年も連続で国家財政は黒字だ。今新たなエネルギー政策に投資するのは一納税者の立場から言って決して馬鹿げた話などではない。少なくとも、目先の利益に固執し現状を放置しておく方が、よほど不安になると言っておく。