W杯でドイツが許した稀な番狂わせ、1994年W杯準々決勝ブルガリア戦

ドイツ代表はW杯において通算4度の優勝および4度の準優勝を誇る。優勝回数こそブラジルに劣るが、毎回上位に顔を出すと言う意味での安定感なら世界一だろう。つまりドイツはとにかく格下の相手に取りこぼさない。

特に1980年~1990年代初めのドイツサッカーは退屈と揶揄されながらも結果だけはしっかり残す無類の強さを発揮した。かつてのイングランドのエースストライカー、リネカーは「サッカーは単純だ。22人がボールを奪い合い、そして最後に勝つのはドイツ」という名言を残すほど、結果を出すという意味でのドイツの強さは際立っていたと言って良い。

しかし、1990年のW杯優勝以降、そのドイツの強さに徐々に陰りが見え始めてきた。その象徴的な敗戦がこの1994年W杯アメリカ大会での準々決勝、ブルガリア戦での敗戦だろう。

この大会のドイツは優勝した1990年イタリア大会とほぼ同様のメンバーを招集し、全く同じ戦術で2連覇を狙った。当時ドイツは有望な若手が育っておらず選手の高齢化が懸念されたが、それでも優勝候補の一角という評価は揺ぎ無かった。暑さに苦しみながらもベスト16では難敵ベルギーをこの大会一番の内容で下し、KOラウンドに入り上り調子であることを伺わせた。

一方当時のブルガリアはストイチコフ、バラコフ、レチコフ、コスタディノフなどを擁した黄金世代だったと言われている。しかし、チームとしての総合力、W杯の実績、経験などを考えればブルガリアは完全なアンダードッグである。W杯において鉄板の安定感を誇るドイツが負けることなどあり得ないと予想された。

試合は1994年7月10日ニューヨークで行われた。このドイツ圧倒的有利で予想された試合、ドイツはこの大会中盤の底で素晴らしい働きを見せているマティアス・ザマーに変えて、攻撃的MFのアンドレアス・メラーをスタメンに起用した。ローテーションの意味合いもあると思うが、守備を固めてくるであろうブルガリアを攻撃力で押し切ろうという布陣だ。

ブルガリアは開始5分、右サイドをショートカウンターから崩し、ストイチコフのグラウンダーのパスを受けたバラコフがゴール正面から決定的なシュートを放つが、これはポストに当たりドイツは事無きを得た。しかし、その後はドイツが当初の予想通り徐々に試合を支配し始める。

ドイツの攻撃の中心は166㎝の小兵、トーマス・へスラーだ。もう一人の攻撃的MFメラーが中央で直線的な動きをするのに対し、へスラーはこの試合頻繁に両サイドに顔を出す。豊富な運動量と高い技術、精度の高いキックでドイツの攻撃をけん引し、ドイツのチャンスはほぼ全てがこのへスラー絡みだ。前半は0-0で終了したが、ドイツが試合をコントロールしている。

そして後半開始早々の48分、ドイツはややラッキーな形で先制する。PA内でロングボールを受けたクリンスマンがレチコフに倒されPKを獲得し、これをマテウスが落ち着いて決めた。これはブルガリアにとってやや厳しい判定だったが、ここでドイツがリードをする事は順当とも言える試合内容だ。

リードしたドイツはその後立て続けにチャンスを演出し、試合を決めにかかる。53分にはこの日出色の出来であるへスラーがゴール正面からミドルシュートを放ち、これはミハイロフの好セーブに阻まれた。60分にはクリンスマンとフェラーのワンツーからDFのヘルマーが決定的なシュートを放つがこれも惜しくも外れる。

最大のチャンスは72分、左サイド深い位置でボールを受けたヘスラーがドリブルでPA内に侵入し、中央バイタルエリアに走りこんできたメラーにグラウンダーでマイナスのパスを出した。メラーはこれをダイレクトで火の出るような強烈なミドルシュートを放ち、このポストの跳ね返りをフェラーが押し込んでドイツが2点目を奪ったかに見えた。しかし、これはフェラーがオフサイドの判定で取り消された。

これはかなり微妙な判定であり、もしもゴールになっていれば試合は決まっていただろう。しかし逆に、ここからはドイツにとって悪夢のような試合展開になる。

76分にブルガリアはゴールからおよそ20mやや右よりの位置でフリーキックを獲得する。これを蹴るのはこの年バロンドールを得たフリスト・ストイチコフである。そして、ストイチコフは左足でこのフリーキックをゴール右下に沈めた。これはドイツのGKイルクナーが一歩も動けない程見事なフリーキックだったが、蹴る瞬間イルクナーは完全に逆のコースに体重をかけておりこのキックに反応できなかった。GKの致命的なミスと言えるだろう。

更にその2分後、右サイドでボールを受けたヤンコフはドイツの甘い守備をかわしてPA中央にクロスを上げ、これをレチコフがダイビングヘッドでドイツゴールに突き刺した。ドイツはクロスを上げる段階でそれぞれの選手がマンマークに付いていたが、その守備は疲れの為か極めて緩く簡単にクロスを上げさせてしまった。そしてこの186cmの長身レチコフにヘディングで競り合ったのは166㎝のヘスラーである。この空中戦に勝ち目はなかった。

当初全く予測しなかったこの展開にドイツの選手には明らかに焦りが見える。ここからドイツはなりふり構わないパワープレーを試みるが、しっかりと中央を固めたブルガリアを守備が綻びを見せることはなく、結局試合はそのまま2-1でブルガリアがドイツを下した。この試合はこの大会最大の番狂わせのみならず、現在に至るまでドイツがW杯において許した最大の番狂わせの一つとなった。

また、この敗戦は”eine der unnötigsten Niederlagen der deutscher WM-Geschichte”=「ドイツのワールドカップの歴史の中でも最も不必要な敗戦(ドイツサッカー連盟のサイトより)とも言われている。ブルガリアと言うアンダードッグに敗れたという結果だけだなく、内容的に言っても負けてはならない試合展開だったからだ。

ドイツの敗因を挙げるとすれば、やはりストイチコフのフリーキックにGKイルクナーが反応できなかったという致命的なミスだろう。イルクナーはこの試合の後、代表からの引退を表明した。当時の監督フォクツもこの大会の唯一のミスはGKにケプケを起用しなかったことだとし、その件でケプケに謝罪した。

そしてドイツの2失点目は当時のドイツサッカーの構造的な問題を垣間見ることができる。まず、この場面ではドイツの選手の足は止まっており、かなりの疲労があったことを伺わせる。厳しい暑さの中で行われたアメリカ大会では、やはりドイツの主力選手はやや高齢化しすぎていた。

もちろん、エッフェンベルク、ザマーと言った後のドイツサッカーの柱となる新戦力も主力として参加しており、弱体化を叫ぶにはまだ早すぎた。優勝は無理でもベスト4がノルマだったといえるだろう。しかし、フレッシュな若手が育っていないという現実は、この後10年以上にわたりドイツサッカーを悩ませることになる。

更にこの場面問題なのが166㎝のヘスラーがPA中央で長身レチコフにヘディングで競り合うというミスマッチを許しているドイツサッカーのシステムだろう。この時期、強豪国は既に4人のディフェンスラインを基調としたゾーンプレッシングにダブルボランチでバイタルエリアを締めるという戦術を採用し始めていたが、ドイツは依然として徹底したマンマークを基調とした守備に、3バックの中央に位置するリベロがその保険としてスペースを埋めるという古典的かつ堅実な戦術を採用していた。

個人の高い肉体的な強さ、体力を要するこの戦術は屈強な選手を揃えるドイツで発達した。この場面、ヘスラーは忠実にPA内までレチコフのマークに付いていたが、ドイツの中で唯一突出してサイズが小さいという盲点を突かれた格好だ。

一方でドイツはややもすると単調になりがちな攻撃面で、機敏さと高い技術、豊富なアイデアでアクセントを加えられる攻撃的MFを常に必要としており、その意味でヘスラーは外せない選手だった。現代の守備システムなら、ヘスラーがあの場面にあの場所にいる事はあり得ないだろう。しかし、ドイツはこの後もこのマンマーク+リベロシステムに拘り、世界の潮流から見放されていくことになる。