ここ数年の政治におけるドイツ国民の最大の関心事の一つは移民難民政策であろう。ドイツはシリア情勢などから2015年に大量の難民を受け入れている一方で、社会に適応できていない通常の移民を締め上げる傾向にあった。しかし、ドイツは既に何年も前から国外からの専門的労働力の不足が叫ばれており、優秀な移民に関しては積極的に受け入れている。何れにせよ外国人は増えたし、今後も増えるであろう。とりわけイスラム系の外国人はかなり増えた。
そういう状況を踏まえてか、何年も前から議論になっている発言がある。それはイスラム教はドイツ社会に属するか否かというものだ。この議論の発端は2010年に時のドイツ大統領クリスティアン・ヴルフがドイツ統一20周年の演説において、”Der Islam gehört inzwischen auch zu Deutschland”=「イスラム教もそうこうするうちにドイツの一部となった」と発言したことに始まる。
この発言には当時保守派の政治家や国民から非難を浴びせられたが、更にこの文言が脚光を浴びるようになったのが難民問題が先鋭化した2015年以降だろう。とりわけAfDなどは逆に”Der Islam gehört nicht zu Deutschland”=「イスラム教はドイツには属さない」と主張し、露骨な反イスラム主義を明確にした。
その後現在に至り何人かの政治家が「イスラム教はドイツに属する」或いは「属さない」の発言を繰り返し、その度にその発言の是非をめぐって議論をするという堂々巡りが続いている。つい最近はドイツの新政権で内務相に就いたCSUのホルスト・ゼーホーファーが再び”Der Islam gehört nicht zu Deutschland”=「イスラム教はドイツに属さない」と発言し物議を醸した。
これに対してはメルケルが新政権発足に際する演説で”Der Islam ist ein Teil Deutschlands”=「イスラム教はドイツ社会の一部」と断固とした首相の言葉でゼーフォーファーの発言を否定した。しかし、これにも連邦議会におけるCSUのトップであるアレクサンダー・ドブリントが”Der Islam gehört egal in welcher Form nicht zu Deutschland”= 「イスラム教はどんな形であろうがドイツには属さない」と強く反発した。
この手の議論にはさすがに他の政治家もうんざりしている模様で、表面的で不毛な議論だと言う声が各方面から出ている。単にこの一文だけでドイツのイスラム教、或いはイスラム教徒に対する姿勢を説明することなどできないからだ。
そもそも、ドイツは言うまでもなくキリスト教の歴史、文化、信仰を持った国である一方で、誰がどの宗教を信仰するかというのは自由であり、現在では450万人のイスラム教を信仰する人々がドイツに住んでいる。当然政治家はそのような注釈をつけて発言するのだが、メディアに取り上げられるのは「イスラム教がドイツに属するか否か」であり、国民が関心を示すのはこういった白黒はっきりした単純明快な文言である。
そしてその肝心の国民がどのように考えているかと言えば、7割のドイツ人が「イスラム教はドイツに属さない」という発言を支持している。それがわかり切っているから、わざわざ政治家も事あるごとにこの文言を持ち出してくるのだろう。とりわけ、CSUなどは前回の選挙でごっそりAfDに票を持っていかれているから、何としてでもその層の支持を取り戻したいと考えるのは容易に想像できる。本当にポピュリズムが全盛の世の中だと実感する。
しかし、そのような単純明快な文句が一人歩きして、大衆に対して誤解や差別的なメッセージを与えることになるのも問題になるので、この発言が出るたびに別の政治家が否定するという繰り返しである。実際にそのような特定の民族や人種、宗教を否定、あるいは疎外する価値観を大衆に植え付けて人類は何度も戦争を起こしてきた。
そして最終的には、現大統領のシュタインマイヤーがこの議論の発端となっている2010年当時の大統領ヴルフの発言の意図するところを”Muslime in Deutschland gehören dazu”=「ドイツに住むイスラム教徒はドイツの一部」と別の言葉を使うことで表現しこの議論の収集に努めた。
このイスラム教、イスラム教徒を巡る政策は国民の最大の関心事であると同時に、最も国民がナーバスかつ感情的になっているテーマである。そして、このような極めて複雑でもあるテーマをツィッターの利用した短文で説明する政治家が最近は大人気だが、そのような単純明快な文句に踊らされることなく、人間や社会について思慮深くあることが我々庶民にとっても重要であるだろう。