ドイツが世界の強豪国から転落した、1998年W杯準々決勝クロアチア戦

1990年のW杯優勝後ドイツサッカーは全体的に下り坂となり、1990年代終わりから2000年代はじめにかけてドイツ代表は深刻な低迷期を経験している。1994年W杯準々決勝でブルガリアにまさかの敗北を喫したドイツは2年後のユーロで優勝し、一時的にサッカー大国の面目を保つことに成功した。

しかし、この1998年のフランスW杯でドイツを優勝候補に推す声は殆ど皆無であった。この頃既にドイツは若手の育成に深刻な問題を抱えていた上に、1996年のユーロ優勝の原動力となった最強のリベロ、マティアス・ザマーを怪我で欠いた。多くの選手は既に全盛期を過ぎていたが、ドイツはかつてない程のベテラン偏重のメンバー構成でこの大会に臨まざるを得なかった。

事実ドイツはこの準々決勝のクロアチア戦まで全く調子が上がらず、ベスト16のメキシコ戦は試合終盤まで1-0とリードされており、あわや敗退かと思わせた。この試合は試合終盤の連続ゴールで逆転勝利に漕ぎつけたが、その内容は優勝候補とは言い難いものであった。

一方のクロアチアはACミランに所属する司令塔ボバン、レアル・マドリーのFWスーケルを筆頭に優秀な選手を揃えてはいた。とはいえ、国自体ができて間もないこともありW杯は初出場となる。グループリーグで同じく初出場の日本とジャマイカを下し、ベスト16はPKでルーマニアを破って準々決勝に進出してきたものの、ここまでは比較的相手に恵まれた感もある。また、この試合は1996年のユーロ準々決勝と同じ顔合わせとなり、この時はドイツが2-1で勝利しており、戦前の予想ではドイツ有利と見られていた。

試合は序盤からドイツがペースを掴む。この日先発したハマン、イェレミースの中盤の底がクロアチアの攻撃の芽を摘み取り、相手の2トップには屈強なヴェアンスとコーラーがマンマークで対応する。3バックの中央はリベロとして37歳のマテウスがスペースを埋めた。ドイツはそれまでの不甲斐ない試合が嘘のような素早い出足で中盤を支配した。

そしてボールを奪ったら長身FWのビアホフに高いボールを当てる、或いはビアホフを囮にして他の選手が飛び込む形を徹底した。30歳のビアホフはこの年セリエAの得点王に輝いた遅咲きのストライカーだ。この大会のドイツの攻撃はほぼこのパターンに限定されたが、このビアホフの頭は分かっていても止めるのが難しい絶対的な型として機能した。ドイツはこの形で前半2度の決定的なチャンスを得る。しかし、得点できないまま迎えた前半40分、ドイツにとって悪夢のような事態が発生する。

ハーフラインの辺りでクロアチアのクリアボールをマテウスとスーケルが競り合い、この競り合いに勝って抜け出したスーケルをヴェアンスが明らかなファウルで止めた。このヴェアンスの反則覚悟のタックルには一発でレッドカードが提示され、ドイツは残り時間を10人で戦う羽目に陥ってしまう。

この場面、ヴェアンスの後ろにはもう一人のストッパー、コーラーがカバーに入れる位置にいたため、このレッドカードは物議を醸す判定となったが、当然判定は覆らない。この後完全に形勢は逆転する。

ドイツは右WBのハインリッヒを退場したヴェアンスの位置に下げて応急処置を施し、前半を何とか0-0で折り返したい所だったが、前半ロスタイムに失点する。右サイドでボールを持ちあがったスタニッチ対し、ドイツの守備陣はズルズルと後退し、バイタルエリアに広大なスペースが生じた。

ここでスタニッチは左ハーフスペースに駆け上がってきた左SBヤルニに余裕をもってパスを出し、ヤルニがゴール右下にミドルシュートを突き刺した。ヴェアンスの代わりにポジションを下げたハインリッヒは消極的でヤルニとの間合いを詰めることが出来なかった。

後半ドイツは左コーナーキックからクリンスマンが頭で流したボールをビアホフがゴール至近距離からダイレクトでシュートしたが、これはGKラディッチの正面で得点ならず。この後はテクニックに勝るクロアチアが10人のドイツをいなしながらカウンターで攻め込む場面が増えてくる。ドイツはGKケプケの好守もあり、何とかクロアチアの攻撃を凌ぎつつ、セットプレーで得点のチャンスを伺う。ハマンのゴール正面からのフリーキックはポストに弾かれた。

しかし79分、カウンターから再びバイタルエリアを蹂躙されたドイツは右ハーフスペースから今度はブラオビッチに左下にミドルシュートを突き刺され、事実上これで勝負は決した。カウンターの状況で数的優位を作られたドイツの守備陣は、ここでもズルズルと下がる他なく、十分な時間とスペースを得たブラオビッチは余裕をもって、そしてコースを狙いすましてシュートを打った。まるで前半の失点の逆サイド版を見ているかのような光景だった。

これで完全に集中力を切らせたドイツに対しクロアチアは更に84分にPA内でスーケルがドイツの守備3人をかわして3点目を決め、この歴史的勝利に花を添えた。試合はこのまま3-0でクロアチアが勝利し、ドイツはこれでW杯2大会連続のベスト8での敗退となった。

この試合の敗因について真っ先に挙げられるのが前半40分のヴェアンスの退場だろう。この場面では前述したとおり、ヴェアンスの後ろにはコーラーがカバーに入れる位置におり、試合後のインタビューで監督のフォクツと一部の選手はこのレッドカードを不当だとして捲し立てた。確かにフォクツの言うようにこのレッドカードまでは今大会最高のパフォーマンスだった上に、ヴェアンスはドイツの選手の中でもこの大会出色の出来だっただけにこの退場は痛かった。

しかし、ヴェアンスは余りにも露骨に危険な角度からタックルに行っており、今となってはレッドカードは妥当であるというのが一般的な評価だろう。まあ多少の運の悪さはあったにしても、それもサッカー、そしてスポーツの一部だ。試合後ひたすら審判への批判を繰り返す監督フォクツの発言はもはや聞き苦しいと言う以外なく、クロアチアへの敬意を欠いたドイツはバッドルーザーと言わざるを得なかった。

そして、この大会を通じてみてもドイツは選手、戦術ともにもはや完全な骨董品と言えるほど古めかしく、完全に世界の潮流に取り残されいることが明らかになった。マテウス、クリンスマン、コーラー、ヘスラー、メラー、ヘルマーなどの主力は皆30歳を超えており、いずれの選手もこの大会は全くの期待外れに終わった。20代中盤のハマン、イェレミース、ヴェアンスなどは堅実なファイターであったが、ドイツに欠けていたテクニックとクリエイティブさを持った選手ではなかった。

戦術面においても、オランダ、ブラジルといって他の強豪国がプレッシングと高い技術から素早い好守の切り替えを見せたのに対し、ドイツは相変わらずマンマークを基調とした守備に、攻撃時はひたすら長身ビアホフの頭を狙うという単調かつフィジカルに依存した旧態依然としたものだった。また、このリベロシステムの中心になるべきだった、マティアス・ザマーの欠場は非常に痛かったといえる。

名前だけ見れば初出場のクロアチアに敗れたことは予想外だったが、これは番狂わせには当たらないだろう。強豪国と言うにはドイツのサッカーの質はあまりにも劣悪であり、アンチフットボール的であった。この大会強いてポジティブな面を言うならば、ドイツの伝統である最後まで諦めない精神力を幾つかの試合で見せた点だった。しかし、それだけで勝てないことはもはや明白になりつつあり、ドイツはこの後数年間、長い低迷期に入ることとなる。