2006年のドイツ代表はチームの危機に際してどのように対応したか

日本代表の監督であるハリルホジッチが電撃的に解任された。この誰もが驚きをもって受け止めた解任劇の舞台裏は知る由もない。しかし日本サッカー協会の「選手との信頼関係に問題があった」とのコメントから、やはり監督と選手の間に多かれ少なかれの不協和音があったと考えるのが取り合えず妥当であろう。誰もが組織の人間としてプロフェッショナルな振る舞いをしようと務めても、監督も選手もエゴや感情、自らの考えをもった人間である以上、意見の衝突や人間関係上の摩擦があってもおかしくない。むしろ普通だろう。

勿論、そういった不協和音がメディアを通じて外部に漏れる状態は極めて良くないが、こういった問題は言ってみればどこにでもある。それはビッグトーナメントで常に安定した結果を残し続けてきているドイツ代表でも例外ではない。私の知っている限りでもこれまで度々監督と選手の不協和音がメディアを通じて外部に漏れてきた。ドイツ代表はそのようなトラブルに対し、どのような対応をしたのか振り返ってみる。

まず紹介したいのは2006年の自国W杯に臨むドイツ代表の選考に漏れたクリスティアン・ヴェアンスと当時の監督であるユルゲン・クリンスマンとの衝突、そしてその後の危機である。当時34歳のベテランであるヴェアンスは1990年代終盤から2000年代初めにかけての代表の常連であり、代表66キャップを誇る屈強なDFであった。所属するドルトムントでも依然として主力として働いており、マンマークをさせればドイツ最強という揺ぎ無い評価を得ていた。

しかし、当時の監督のクリンスマンはヴェアンスを代表に招集せず、メルテザッカー、フート、メッツェルダーと言った若手を常に招集した。このうちフートとメッツェルダーは所属するクラブでベンチを温めていただけでなく、とりわけメッツェルダーはヴェアンスと同じドルトムントに所属しており、つまりクラブではヴェアンスの控えだった。

この選考に納得のいかないヴェアンスは当時メディアを通じてクリンスマンを”link”=「いかがわしい」、”unehrlich”=「不誠実」と痛烈に非難した。クリンスマンはまずクラブでの活躍が選考に際する最も重要な基準だと述べていたからだ。

しかし、このヴェアンスの発言に激怒したクリンスマンは監督の権限を行使してヴェアンスをすぐさま代表から永久追放した。W杯本番3ヶ月前、極めて重要なテストマッチであるイタリア戦を前にしての騒動であった。しかし、危機がこれで過ぎ去ったわけではなかった。

というのも、数日後に行われたこのイタリア戦においてドイツは守備が完全に崩壊し4-1という目も当てられない惨敗を喫したからだ。弱いとは分かっていても、国家の肝いりのプロジェクトでもある自国W杯に臨むドイツ代表の目標はあくまでも優勝しかない。この敗戦のショックは余りにも大きく、キャプテンのバラックも「誰もが自信を失っている」と開幕100日を切った時点でドイツのチーム状態はどん底に陥った。この試合は私もよく覚えているが、本当に酷かった。

この絶望的な状況の中で監督のクリンスマンは「プランは既に立っている、それは納得のいくものであり、変更することはない」と明言した。そして、これまで反クリンスマン急先鋒とも言える発言を繰り返してきたFCバイエルンのマネージャー、ウリ・ヘーネスでさえ「ここまで来た道を真っすぐに、断固として突き進むべきだ」と団結を呼びかけるコメントを出した。

クリンスマンはチームが危機的な状況に陥っても、事実を受け止め、必ずといって良いほど前向きでポジティブなコメントを出した。しかし、ドイツ代表が優勝候補でないことは誰もが分かっていたので、当時はその異常に前向きなコメントは眉唾に響いた部分もあった。事実このイタリア戦後、クリンスマンを更迭するプランがあったことが今となっては明らかになっている。しかし、ここまで来たら後戻りはできないことも誰もが分かっており、結局ドイツ代表はクリンスマンと心中するような格好で本大会に臨むことになった。

そしてその結果、ドイツ代表は優勝こそ逃したものの当初の予想を覆す快進撃を見せて3位に食い込むことに成功した。とりわけ、クリンスマンが極めて重視していたフィットネスの面でドイツは他国より大きく優位に立つことに成功した。また、若い選手が一致団結して戦う姿は国民を熱狂の渦に巻き込み、この大会は現在でも「夏のメルヘン」と呼ばれている。準決勝のイタリア戦後のクリンスマンの誇らしげな顔は今でも私の印象に残っている。

一方で振り返れば確かにクリンスマンが断行した妥協を許さない改革やチームの若返りに対しては多くの批判があった。ヴェアンスの例も確かにクリンスマンは二枚舌的な部分があったかもしれないし、同情する余地もある。

しかし、組織のリーダーである以上、時には非情かつ理不尽とも見える決断を下さなければならないこともある。チームと個人の利害が対立すれば、優先されるのはチームの利益であり、ドイツ人はこの点において断固とした態度を示すと言っておきたい。ただ一つ確実に言えることは、クリンスマンは特別なカリスマ性を持った監督だったという事だ。それはドイツ代表にとって望外の幸運だったという他ないだろう。現在のドイツ代表の成功はこの時のクリンスマンの改革が礎となったものであることは間違いないものであり、そしてその改革は彼にしか出来ないものだった。クリンスマンは惜しまれながらW杯終了後に退任し、後任の座をヨアヒム・レーヴに譲ることになる。