ドイツ代表史上最低の試合、EURO2000グループリーグ、ポルトガル戦

私の中では1998年から2006年ドイツ代表は低迷期にあり、現在では考えられないような惨敗を幾つも喫してきた。その中でもまさに「どん底」と呼べる試合がある。それがEURO2000のグループリーグ最終戦であるポルトガル戦だ。

1998年フランスW杯ベスト8でクロアチアに敗れたのち、既に高齢化していたドイツ代表はチームの再構築に迫られた。これは一旦は監督のフォクツが続投という形で進められたが、同年の9月にフォクツは国内のプレッシャーに押しつぶされる形で監督を辞任した。新監督探しは難航を極め、結局リストの8番手であったエリッヒ・リベックに決定した。

次なるビッグトーナメントであるEURO2000に向けてリベックは1998年W杯で主力になったハマン、イェレミース、ヴェアンスなど20代の選手に加えて、39歳のマテウスを再びリベロとして招集し、キャプテンにはFWオリヴァー・ビアホフを据えた。

しかし、この時のドイツでワールドクラスと呼べるのはGKのオリバー・カーンのみで、フィールドプレーヤーのレベルの低下は著しかったと言える。ドイツ代表の監督探しが難航を極めたのも当然といえるだろう。それでもドイツは苦戦しながらもEURO2000の予選でライバルのトルコを振り切って1位通過した。

本戦に臨むドイツは34歳ながら未だドイツ屈指のゲームメイカーであるヘスラー、ドイツサッカーの救世主とも言われた期待の若手ダイスラーを直前に招集し攻撃陣をテコ入れした。しかし、ルーマニア、イングランド、ポルトガルと同組になったドイツは初戦でルーマニアに低調な内容で引き分け、続く2戦目のイングランドには0-1で敗れてしまい、グループリーグ敗退の崖っぷちに立たされることになる。

そしてこのグループリーグ最終戦の相手であるポルトガルはフィーゴ、ルイ・コスタなどを擁する黄金世代であった。しかし、既に2連勝でグループリーグ突破を決めたポルトガルはKOラウンドを見据えてこのドイツ戦にはBチームを送り込んできた。

一方、キャプテンでエースでもあるビアホフを怪我で欠いているドイツはこれまでに無い布陣で臨んできた。ドイツの典型的な3-5-2のシステムではなく、4-2-3-1或いは4-1-4-1とも取れる当時のドイツにしては珍しいシステムだ。

4バックは右からレーマー、ノヴォトニー、マテウス、リンケで、典型的なサイドバックは存在しない。4バックだが、マテウスがリベロに3人のストッパーと言った方が正しいだろう。そして中盤の攻守の心臓部にハマンを配置し、中央やや攻撃的な位置にバラック、1,5列目にショル、FWに屈強なヤンカー、左右のウィングにそれぞれボーデ、ダイスラーを配置した。

ドイツはグループリーグ突破のためにはポルトガルに勝利するだけでなく、同時進行のルーマニアがイングランドに勝利した上で、更にそのルーマニアを得失点差で上回るという運も必要とする条件だった。しかし、相手のポルトガルはBチームであり、ルーマニアがイングランドに勝利するのも十分にあり得る。過去にドイツサッカーが見せてきた火事場の馬鹿力とも言うべき精神力を発揮し、是が非でも意地を見せてくれることを期待した。

試合が開始すると出来るだけ得点差をつけての勝利が必要なドイツは当然のことながら早々に積極的に仕掛けていく。しかし、ボールを保持する割には全くといって良いほどポルトガルの守備陣を崩せそうな気配は出てこない。

今回の布陣ではおそらく2列目からのショル、バラック、ダイスラーというドイツ屈指のタレントによる多彩な攻撃を目論んでいたと思われるが、この3人の連携は最悪、特にバラックはパスミス、トラップミスの連発で完全なブレーキとなった。更に左サイドのボーデは完全な蚊帳の外、1トップのヤンカーはその風貌だけなら脅威だが、 意外にもヘディングが弱い。2列目からの飛び出しも皆無で完全に孤立し、そのゴリ押しの突破はすぐに潰された。

一方のポルトガルは序盤じっくりとドイツの出方を伺い、その攻めを掌握すると右サイドを中心にドイツのゴールを脅かした。この日ドイツの左サイドに入ったリンケは本来ストッパーであり、不慣れな左サイドバックでの出場で困惑したのか完全に穴と化した。前半中頃も過ぎれば誰の目から見てもポルトガルのBチームの方がドイツのAチームより強いことがは明らかとなった。

それでもドイツは前半20分を過ぎからリベロのマテウスが前線に顔を出し始めるとやや攻撃が活性化する。前半30分、ドイツはマテウスが起点となり、ヤンカーのポストプレーから、ショル、ボーデとダイレクトで繋ぎ、ペナルティエリア内左45度からフリーで決定的なシュートを放つ。しかし、このボーデのシュートは不運にもポストの内側に弾かれる。この日唯一の鮮やかなコンビネーションだった。

そして、これで目が覚めたポルトガルが攻勢にでる。ドイツのチャンスから僅か5分後、ポルトガルはワンツーで抜け出したパウレタがマークに着いてきたレーマーと競り合いながらクロスを送り、これを後方から飛び込んで来たセルジオ・コンセイソンがゴール至近距離から押し込み先制した。

この場面、ドイツのゴール前には6人もの守備が揃って身構えていたにも関わらず、たった3人のポルトガル選手に完全に出し抜かれた。特にワンツーの場面で完全なボールウォッチャーになったバラックとコンセイソンをどフリーにしたリンケは重罪に当たるだろう。しかし、この頃のドイツに組織的なプレッシングが存在しなかったことがそもそも問題でもある。先制されたドイツはまさに背水の陣追い込まれた。

もはや一か八かの勝負に出る他無くなったドイツは後半、前半踏んだり蹴ったりのバラックに変えてFWのリンクを投入する。しかし、状況は好転するどころか益々悪化する。完全な個人プレーの集合体と化したドイツの攻めをポルトガルは易々と高い位置で摘み取り、素早い攻守の切り替えでカウンターに転じる。中盤を削ったドイツの広大なバイタルエリアを蹂躙しGKのオリバー・カーンを脅かす。

そして54分、再びセルジオ・コンセイソンがゴール正面からミドルシュートを決めて2-0とし、ドイツの希望は完全に絶たれた。ゴール正面でコンセイソンにあっさりと抜かれたハマン、真正面のシュートをキャッチミスで後方に逸らしたカーン、両者ともやる気があるのか疑わしくなるような酷い失態である。

ドイツはベテランのキルステン、ヘスラーを投入し一矢を報いようと試みるが、71分ポルトガルは鮮やかなショートカウンターから再びコンセイソンがネットを揺らしそのスコアを3ー0とした。ドイツはその後完全にポルトガルに翻弄され、全く抵抗する余地さえ与えられず敗れ、グループリーグでの敗退が決定した。私は後にも先にもこれ程情けないドイツの試合は見たことがない。

1998年のW杯の敗退以降ドイツが世界の強豪国ではない事はもはや皆が分かりきっていた。しかし、これ程までに易々と相手に蹂躙され、僅かな意地を見せる事もなく敗退したのはもはやスキャンダルと言う以外にない。この日出場した選手の殆どがKickerの採点では5以下を付けられ、その中でもバラックとリンケは6と言う滅多にお目にかかれない最悪の採点だった。(ドイツでは1が最高6が最低)

そして、この試合で改めて白日の下に晒されたのが、ドイツの選手の絶望的なまでの技術の低さだ。ドイツ代表に若返りが必要なことは明らかだったが、こも試合を見る限り、ショルを除けば34歳のヘスラー、39歳のマテウスが残念ながら最も技術のある選手であったと言わざるを得ない。

戦術的にも既に従来の鈍重でフィジカルの強さに依存したシステムが通用しない事は火を見るより明らかだった。しかし、この日ドイツが見せたサッカーはそれ以前に戦術自体が存在しないと言えるほど、その組織は崩壊していたと言える。

実際にこのEURO開幕直前の合宿でも監督のリベックは確固とした基本的戦術を選手たちに示す事が出来ず、選手側から反乱の動きがあった事が明るみになっている。具体的にはリベックを追い落としマテウスを監督に据えるという仰天プランだったが、これはマテウスが固辞したため実行に移されなかったとされる。この話がどこまで真実かは知らないが、このポルトガル戦を見ればそれも納得と思わざるを得ない。

結局ドイツ代表は歴史上初めて1勝も出来ずにEUROを去ることになり、そして監督のリベックは通算約2年間で10勝8敗6分という現在に至るまで最悪の戦績を残し辞任した。ドイツ代表の低迷期でもまさにどん底と呼べる瞬間がここにあったと言えるだろう。