ミヒャエル・バラック、崖っぷちのドイツサッカーを救う : 2002年W杯予選プレーオフ、ウクライナ戦

EURO2000で目も当てられないような惨敗を喫したドイツ代表であったが、その僅か2年後の日韓W杯で準優勝という望外の成功を収めることとなる。そして、そこに至るまでの過程で忘れてはならない重要な試合が存在する。それが2001年11月に行われた日韓W杯出場を賭けたウクライナとのプレーオフだ。この試合は、ドイツが史上初めてW杯予選敗退の崖っぷちに追い込まれた試合として現在でも記憶に残っている。

EURO2000終了後のドイツは2001年より当時躍進著しいレバークーゼンの監督であったクリストフ・ダウムが就任することに内定していたが、ダウムがコカインを摂取している事実が判明しこの契約は破棄されることになる。

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代わって監督の座に就任したのは1990年のW杯優勝メンバーの一人であるルディ・フェラーであった。当時フェラーは監督としてのライセンスを持っておらず正確には監督ではなく、チームシェフという肩書となった。

フェラーに率いられたドイツ代表は2002年W杯予選でイングランドという強敵と同組になりながらも最終2節を残して首位を維持し、ミュンヘンで行われるイングランド戦に引き分ければW杯に出場というところまで漕ぎつける。

しかし、ここでドイツはイングランドにまさかの1-5という大敗を喫し、更に最終節の格下フィンランド戦でも引き分けるという失態を演じてしまう。この最終2節の不甲斐ない試合によりドイツの日韓W杯出場はプレーオフの結果に委ねられる事態となった。

そして、そのプレーオフの相手は当時世界最強のストライカー、ACミラン所属のシェフチェンコを擁するウクライナに決定した。このシェフチェンコの存在はドイツ国民を震え上がらせ、ドイツのプレーオフ敗退を予想する声も少なくなかった。或いは、地味でスター選手が全く存在しないドイツよりもシェフチェンコをW杯で見たいという世界のファンも多かっただろう。

一方のドイツは折しも攻撃の核であるダイスラー、ショルを怪我で欠き、更に守備でも屈強なストッパーであるヴェアンスを欠くという満身創痍でこのプレーオフに臨まざるを得なかった。ベッケンバウアーもドイツの敗退は”unvorstellbar”=「想像できない」が、”realistisch”=「現実にあり得る」と発言し、少なくとも試合前の状況から言えば、ドイツの史上初めてW杯の予選での敗退はかなり現実味を帯びていたと言えるだろう。

まさにドイツサッカーが崖っぷちに立たされた瞬間であり、選手たちは過去に経験したことが無いほどのプレッシャーを背負いながら試合に臨むことになった。

異様な雰囲気で開始されたキエフでの1stレグ、立ち上がりからドイツの選手に硬さが見える。いきなりウクライナ右サイドで縦パスのカットをハマンが空振りし、抜け出したボロベイがカーンと1対1になる大ピンチを迎える。これは幸運にもポストに当たり事なきを得たが、立ち上がりからホームのウクライナが攻勢をかける。