現代ドイツにとって重要なテーマである、バイエルン発の十字架論争

数週間前にバイエルン州の新たな首相の座に就いたCSUのマルクス・ゼーダーであるが、就任後いきなり物議を醸す決定で大議論を呼んでいる。バイエルンの官公庁において、6月から入り口の目につく場所にキリスト教のシンボルである十字架を飾るように政令を出した為だ。ゼーダーに言わせれば、十字架はまず第一にキリスト教という宗教のシンボルであるが、それと同時に国を為す上での土台でもあり、社会のアイデンティティとしての役割があるからとの理由だ。しかし、この決定に関しては野党の政治家やメディア、更には同じキリスト教、カトリックの関係者からも大反対の声が上がった。

とりわけ、ドイツのカトリックの最高地位にあるラインハルト・マルクスは「十字架を文化的なシンボルとしてみなすならば、この決定は理解できない」と十字架の設置を州が強制することに明確な反対の立場を表明した。ドイツのカトリックのトップがこのような発言をしたことで、世論は大きくゼーダーの決定に反対に傾いたが、一方でバイエルンではこの十字架の設置を擁護する意見の方が多数を占めており、ここに来てゼーダーの決定が正しいとするメディアの記事も増えてきた。

普段から宗教に関心を持つことが少ない日本人からすれば、なぜ官公庁に十字架を飾る如きで国を二分する大騒ぎをするのかピンとこない面もあるが、これはとりわけ現代のドイツにとって非常に重要なテーマであるだろう。

まずこのような政令が出る背景には、確実にここ数年でのイスラム教徒の増加があるからだ。これにより昨今のドイツは古くからあるドイツの文化、価値観を守ろうという機運が高まっている。とりわけ保守色の強いバイエルンはその傾向が強いと言えるだろう。そもそもバイエルンはドイツから独立するなどという話が昔から燻っているように、他のドイツの地域に比べ自らのアイデンティティを守ろうという風潮が強い。ゼーダーの今回の決定は明らかにこの流れを意識したものだ。10月に行われる州選挙で保守層の支持を集めるための戦略的な意味もある。

しかし、その政治的な意味は別にしても、キリスト教はドイツの社会の根源を為す基盤であるというのは紛れもない事実であり、そしてその価値観は世の中がグローバルしていく中でも守っていく必要がある。自らのアイデンティティを意識するために十字架を設置することはその意味で大いに結構なことであり、それは他の宗教を否定するという事を意味していない。

一方で、やはり州が十字架の設置を義務付けることは、政治がキリスト教を強制しているとも解釈されうるので、そう言う意味では当然問題がある。言うまでもなく信教の自由を否定している上に、それによって精神的に国を分断し、争いに繋がる危険がある。ドイツのカトリックのトップが反対したのもそれを懸念してのものだろう。非常に難しい問題だ。

もしかしたら、このような雲を掴むような議論があることを知ると、ドイツとは何と面倒な世の中かと思われるかもしれないが、宗教や人間について考える文化が根付いているからこそヨーロッパは人間が主役の世の中を保ち続けている。日本のように人々が行き過ぎた拝金主義や人格否定に走らないのはキリスト教の価値観が今でも社会の基盤として残っているからだ。

そして今後更にグローバル化していく世の中において、宗教、人間について考える機会は今後ますます多くなっていくだろう。異なる文化の人間が共存していく上で、これらのテーマは避けて通れない。役に立たないと言われている答えの出ない学問こそが、本当に必要な世の中になってきているとも言えるかもしれない。

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