今回のW杯でドイツ代表の試合を初めて見た方がいるならば、その戦術に面食らったかもしれない。なにせ、GKを含め選手全員がかなり攻撃的で高い位置を取る。見てのとおりに自分たちがボールを保持して試合をコントロールし、華麗で素早いコンビネーションで相手守備陣を崩す事を主眼にした攻撃サッカーだ。そして、それこそがヨアヒム・レーヴの信ずるサッカーであり、ドイツは2010年のW杯以降この攻撃的なスタイルを貫き成功を収めて来た。
しかし、このポゼッションに拘るスタイルは常にカウンターの危険と隣合わせと言う意味で非常にリスクが高い戦術でもある。FCバルセロナのようなポゼッションサッカーの総本山のようなチームにとっても、カウンターへの対応は永遠のテーマだろう。そして、私から言わせれば、ドイツは今回のロシアW杯でまずこのカウンターへの対応戦術を決定的に誤った。
もちろん、ドイツがポゼッションサッカーを志向してきた以上、このカウンターへの対応問題は今回が初めてではない。ドイツは過去にも圧倒的な攻撃力を見せながら、カウンターへの脆さを見せた試合が何度もあった。2014年のW杯予選でのスウェーデン戦、ドイツは夢のような華麗な攻撃サッカーで4点取りながら、後半に4点返されて引き分けるという前代未聞の試合を演じている。更に同じくアウェイの第2戦目は5-3と言う、これもサッカーとは思えないスコアで勝利した。
こんなリスキーなサッカーをするなど本番が思いやられると思っていた2014年のW杯だが、レーヴは本大会グループリーグで守備ラインを全員センターバックで固め、サイドバックからの攻撃を半ば放棄するという極めて現実的なリスク回避戦術をとった。この結果、ドイツの華麗な攻撃サッカーはすっかり影を潜めたが、堅実な試合で優勝を果たす事に成功した。準決勝のブラジル戦はあくまで例外である。
続くEURO2016に向けてレーヴは再び自らの信ずるリスク満点の攻撃サッカーに回帰し、ここでも予選段階で何度もサイドをぶち抜かれて失点した。但し本大会ではこちらも全員の守備意識を向上させる事でチームに安定感をもたらし、例によってベスト4まで進出している。フィリップ・ラームという巨星を失った後ながら、よりコレクティブに問題を解決した事は戦術的な進歩でもあったと思っている。しかし、この場合もやはり攻撃力を犠牲にした上での安定感だった。
そして、今回のロシアW杯に向けて、レーヴは自らの戦術を更に前衛化させた。それは攻撃力を削がずにカウンターに対応する手段として、ボールを圧倒的に支配する事で相手に攻める機会すら与えないと言うものだ。この攻撃は最大の防御と言わんばかりの攻防一体の戦術は、W杯予選の弱小国との試合では大いに機能し、圧倒的にゲームを支配したドイツは多くの試合で相手がぐうの音も出ないような完勝を収めて来た。
しかし、本大会となるとドイツはボールこそ圧倒的に保持するものの、何度も同じパターンでカウンターを喰らう羽目になる。そして、試合の度にレーヴと選手たちがインタビューで口々に問題点として真っ先に挙げていたのが中盤での”Ballverlust”=「ボールロスト」である。今回のドイツの戦術においては、このボーロストこそが全ての元凶のように語られた。それは、試合を見ればもちろん、メンバー構成や選手起用などからもわかる。
まず、今回のドイツの中盤はほぼ全員が攻撃的でテクニカルな選手であり、キープ力が高くパス能力に秀でた選手だ。何故、レロイ・サネと言うドイツ最大の才能がメンバー落ちしたか。それはドリブルで縦に積極的に仕掛けるサネのスタイルがボールロストを誘発し、カウンターのリスクになる事を恐れたからだろう。また、スウェーデン戦ではケディラ、韓国戦ではミュラーという絶対的な主力をそのボールロストの多さからスタメンから外した。つまり、今大会のドイツはボール支配を勝利の為の手段ではなく、それ自体が目的と化したドグマとも言える程徹底した。
しかし、あれ程全員が極端に高い位置を取るポゼッションサッカーであれば、一発のボールロストがほぼ毎回決定的なピンチになる。それを知っていた対戦相手たちは、自陣に引きながらミスを待ち続け、狙いを定めてボールを奪い電光石火の危険なカウンターを繰り出した。
フンメルスはメキシコ戦の後のインタビューでこの問題をぶちまけたが、これを現実として受け止めた時は既に遅過ぎた。おそらく、このメキシコ戦の後チーム内でもこの戦術に関して相当意見が割れたであろうが、結局のところ、これまで続けてきた戦術を本戦が始まってからひっくり返す事は不可能だ。
そして、この異常なまでのボール支配偏重のサッカーは更に望ましくない副作用をもたらした。皆がボールロストを恐れて注意深く攻めるようになった事で、ドイツの攻撃はダメな時の日本のような安全志向の横パスが圧倒的に増えてしまった。これは試合を追うごとに顕著になったと言って良い。
おそらく今回のレーヴは自らの理想とするサッカーを実現するだけのメンバーとチームの完成度に手ごたえを感じていたはずだ。しかし、どんなに良い選手が揃っていても試合を完全に支配する事は不可能だ。ある程度のボールロストはあると言う前提で、カウンターに備えた現実的な戦術や選手選考をするべきだった。蓋を開けて見ればこの極端なポゼッションサッカーはカウンターのリスクを著しく上げ、更に攻撃も消極的にさせた大失敗だったと言わざる得ない。
では、今回攻撃の人数を減らして、より守備に人数をかければ万事解決したかと言えば、決してそうとは言えない。そこでドイツを長年悩ませているもう一つの問題が出てくる。それは決定力のあるFWの不在である。相手ゴールに直接的に脅威を与えるストライカーなしでは、シンプルにペナルティエリアにボールを入れる攻撃ができないからだ。結果、攻撃に多くの人数をかけて後方の選手がゴール前に飛び込む形で攻めざるを得ない。
このFWの人材不足はもちろん育成の問題でもあるので、ヨアヒム・レーヴの戦術だけの問題ではない。しかし、レーヴ自身も代表チームにおいてFWを育てる事をこれまでしてこなかった。2006年にレーヴが監督になって以降、代表に定着したFWはミロスラフ・クローゼとマリオ・ゴメスの2人しかいない。
過去にはシュテファン・キースリングや、ケヴィン・クラニィなどの大型ストライカーも存在したが、レーヴは彼らを代表から干してきた。そもそもヨアヒム・レーヴは自らの基本戦術においてFWに得点力をそこまで要求しない。寧ろ2列目が飛び込むスペースを作ったり、連携プレーに絡む献身的かつオールラウンドな動きを好む。
ミロスラフ・クローゼはそういう意味では理想的なFWだったかもしれないが、クローゼの引退後、レーヴは4-2-3-1の1トップに中盤の選手を起用し、あくまで相手を華麗に崩して得点するという高度に連動したサッカーを志向した。レーヴがもともと高いボールを嫌い、セットプレーも重視しない事はよく知られている。2014年のW杯ドイツはセットプレーから多くの得点を挙げたが、これはアシスタントであったハンス=ディーター・フリックが実行したものである。
確かに、今大会のドイツもあくまでチャンスの創出能力に関して言えば、今大会屈指の質の高さも稀ながら見せた。韓国戦で見せたエジルのヒールパスからロイスとのワンツーで相手守備陣を崩し、FWヴェルナーがゴール正面からどフリーで決定的なシュートを放った場面は、ドイツの華麗なコンビネーションサッカーの真骨頂だった。
しかし、FWのヴェルナーとゴメスは、あくまで得点を取ると言う事に関して言えば、全くと言って良いほどその役割を全うできなかった。今大会ドイツが放ったシュートは実に72本に及ぶ。それでたったの2得点だ。この決定力の悪さは殆ど絶望的なレベルである。レーヴは華麗なパスワークによるコンビネーションサッカーに固執しすぎて、FWの決定力という極めて重要な要素を長年に渡り軽視してきた。2016年のEUROでこの問題は本来痛感した筈なのだが、ロシアW杯を見る限り結局これは全く解決されていなかった。
あくまで私の目から見れば、確かにレーヴのサッカーの質は高い。高いレベルで攻守が連動し、試合を完全に支配し、高いテクニックと華麗なコンビネーションで相手守備を崩して得点するサッカーは魅力的でもある。しかし、問題はその理想が余りにも高すぎる事だ。ハマれば鬼のような高い機能性を見せてきた一方で、一本のネジを抜かれたら全てが壊れてしまうような脆さがある。今回のロシアW杯はまさにそれが現れた。
レーヴはひとまず監督の座に留まる事になったが、今後再び結果を出せるサッカーをするためにも戦術の大幅な見直しを迫られる事は間違いない。ドイツ代表の次の試合は、9月に新たに開幕するネーションズリーグでの強豪フランス戦である。ここで不甲斐ない試合をしようものなら、レーヴの進退問題は再びテーマになるだろう。1998年のフォクツのように、W杯惨敗の後に一旦は監督の座に留まりながら、直後の親善試合で結果を出せずに退いた例もある。ドイツ代表は新チームでいきなり正念場に立たされており、レーヴがどのようなメンバー、戦術を採用するのか実に注目される一戦となるだろう。