先日CDUの党首からの退任を表明したメルケルの後釜を巡る戦いの火蓋は切って落とされており、これまで3人の候補者が出馬を表明した。このうち既にアンネグレート・クランプ=カレンバウアー(通称AKK)、イェンス・シュパーンについては既に紹介した。
簡単にいうならば、AKKは地味だが堅実、現実的な中道で親メルケルと呼べる。シュパーンはかなり保守的な価値観を持つと言う意味で反メルケルの急先鋒の若手だ。しかし、そこに割って入り突如世間を賑わせ、同時に期待を集めている人物が存在する。それが巨大資産運用会社独ブラックロック監査役であるフリードリヒ・メルツだ。
このメルツはかつて政治家として連邦議会でCDUの議員団団長を務めたことのある実力者であり、将来の首相候補とも目されていた。しかし、メルケルにこの座を追われ、2009年には一度は政界から引退していた。つまり政治家としては、かつてメルケルの最大のライバルでもあった。
引退後は弁護士として活動する一方、ドイツ大企業の監査役などを歴任している。財界の大物として名を馳せ、依然として政界にもかなりの影響力があった模様だ。そして、このメルツが遂にメルケルの後釜にCDUの党首、すなわち近い将来の首相候補として名乗りを上げた。
メルツの政治的スタンスは簡単に言うならば、シュパーンと同様、かなり保守的なタイプに分類される。現在保守系の政治家が移民政策で使用する”Deutsche Leitkultur“という言葉を、移民はドイツ的な価値観、合意に基づいて社会に適応するべきと言う概念と結びつけ、定着させたのはこのメルツによるものだ。この言葉が現在でも生きているのはメルツの保守政治家としての実力、切れ者ぶりが現在でも評価されている証でもあろう。
また、巨大会社の監査役を歴任している通り、政界においても経済のエキスパートとして認知されていた。経済的にはかなりリベラルな思想を持っており、有名なのは2003年の財政改革議論において、確定申告の大幅な簡略化を主張した事である。ここでメルツは、確定申告はビールのコースター上のスペースがあれば十分だとして物議を醸したとされる。
ドイツの伝統的、保守的な価値観を持った政治家である事に加え、この経済リベラルとしてのプロフィールを見る限り、総じて言えばFDPのクリスティアン・リンドナーにかなり近いタイプの印象を与える。何れにしても、メルケルとは政治的にも人間的にも全く異なるタイプ、むしろCDUという枠の中では正反対である印象さえある。
そして、ざっとオンラインでのアンケートなどを見る限り、現時点ではこのメルツを新たなCDUの党首に希望する声が世間では圧倒的に多い。メルツの政治家としての知性、実力、そしてその断固とした保守的な姿勢は、難民問題をはじめとして「メルケル疲れ」している国民に喝采を浴びることは想像に難くない。少なくともドイツは新しい風を必要としており、その点において確実にメルツは興味深い選択肢だ。
しかし、保守、反メルケルと言うだけで、簡単にメルケルの後釜に座れるという単純な状況では全くない事は、メルツ自身が一番よく分かっているだろう。メルツは立候補の表明において、メルケルに敬意を表し、CDUの党首になった際には、引き続き首相の座に留まるとされるメルケルとは何の問題もなく協調していけることを強調した。中道の国民政党の党首候補として、過度に保守的な発言、ましてや前任者を否定するような発言が歓迎されないのは当然だ。
一方でメルツが党首になる事で懸念される点としては、財界出身ともあってかなり大企業、経済至上主義的な政策を採ることが予想される事だ。庶民にとって冷徹かつネオリベラル的な政策で、更に格差が広がる可能性がある。現在のドイツにおいては、決して難民、移民問題だけがテーマになっている状況ではない。寧ろこのテーマに拘り続けてCSUのホルスト・ゼーホーファーは自滅した。
また、昨年はSPDのマルティン・シュルツが首相候補として一時メルケルを上回る支持を集めたが、現在はどうだ。SPDはCDU以上に崩壊し、シュルツはとうに党首から降りている。華麗なプロフィールの新たな人物が登場すると未来はバラ色に見えるが、現実はそんなに簡単ではない。誰がメルケルの後釜に座るかは、あらゆる面の総合パッケージで誰が相応しいか決定される。
その意味では寧ろ、地味だが堅実、難局の続いた政界で着実にステップアップしてきたオールラウンドであるAKKの堅さは侮れない。彼女はメルケルが最も信頼する政治家としての地位を既に固めているが、今後どのようにそのメルケルとの差異をアピールし、既存政治からの脱却、そして改革のイメージを浸透させることができるかがカギになる。いずれにせよ、メルケルの後釜をめぐる戦いは単なる保守回帰で決着がつくほど、単純な展開にはならないだろう。