ドイツは周囲を9ヶ国に囲まれている。北から時計回りにデンマーク、ポーランド、チェコ、オーストリア、スイス、フランス、ルクセンブルク、ベルギー、オランダである。ドイツは一般的に第二次世界大戦後、これらの隣国とは概して友好的な関係を築き上げていると言われているが、その関係は必ずしも一筋縄ではいかない複雑な感情が入り混じったものとなる。今回は同じまさにドイツと兄弟の国と言って良いオーストリアとの関係を取り上げてみたい。
このドイツとオーストリアの関係を紐解くには、まずはそれぞれの国の成り立ちをおさらいしておく必要がある。ドイツとオーストリア、現在は別々の国であるが、両国とも同じゲルマン民族でドイツ語を話し、似たような文化を持っている事から分かる通り、かつては同じ国であった。大雑把に言えば、両国は長い間神聖ローマ帝国という一つの国の領域であり、それが滅亡した後もオーストリアは1866年までドイツ連邦の一員だった。
それどころか、オーストリアはこのドイツ連邦の議長国であり、寧ろプロイセン、バイエルン、ザクセンなどの現在のドイツを構成する領邦を従えていた。しかし、1866年にプロイセンがオーストリアに戦争を仕掛け、これに勝利した事でオーストリアはドイツ連邦から除外される。
除外されたオーストリアは現在の領域にハンガリーを加えたオーストリア=ハンガリー帝国として存続した。一方、勝利したプロイセンは他の領邦を従えて1871年にドイツ帝国を築き、これが現在のドイツの基になった。つまり、ここから両者は初めて別々の国として存続する事になる。
その後2度の世界大戦で紆余曲折があったが、基本的にはこの両国は常に同胞であった。1938年のヒトラーによるオーストリア併合も侵略行為としての認識がある一方で、当時ヒトラーはオーストリア人に歓喜して迎えられた。寧ろ、オーストリアがナチスに加担したという歴史認識もそれ相応に存在し、ドイツと他の隣国のような単純な被害者と加害者の関係は存在しない。
まず、ドイツから見たオーストリアであるが、ドイツ人にとって一般的にオーストリアは非常に好感度の高い国として知られている。美しいアルプスの山々をはじめとした豊かな自然や、洗練された文化を持つ観光大国でもあり、言語も同じドイツ語のうちオーストリア・ドイツ語が話される。ドイツで話される標準ドイツ語との微妙な違いを調べだすとキリがないが、その響きは非常に音楽的で柔らかく聞こえる。多くのドイツ人がオーストリアへバカンスへ行き、そこでの美しい自然を満喫し、手厚いもてなしを受けている。
私自身もオーストリアには何度も訪れた事があるが、その経験から言ってもオーストリアは非常に美しい国だと言っておきたい。ザルツブルクのような文化的に洗練された都市や、ザルツカンマーグート地方の豊かな自然と湖は必見に値する。ついでに言えば、偏見に満ちた意見で恐縮だが、人々もドイツ人より親切だという印象を持っている。
というのも、いつも時間に追われてイライラしているドイツ人に比べて、オーストリア人はゆったりとして余裕がある。これは私の偏見も多分に入っており、私がドイツから訪れた観光客なのでそのように親切なのもあるだろうが、一般的に言われるドイツ人とオーストリア人の違いとしてしばしば言及されることでもある。
しかし一方で、オーストリアにおけるドイツ人のイメージはやや複雑なものがある。ドイツ人は観光客としてオーストリア人にとって重要な存在である一方で、一般的には必ずしも好かれておらず、しばしば”Piefke”と呼ばれて軽蔑されているのは有名な話である。オーストリア人に言わせれば、ドイツ人は文化的に低く、ユーモアもなく、無礼で、やたらと几帳面かつ正確でストレスを撒き散らし、そこら中にわんさかいる俗物だと言う訳だ。
スポーツなどでも当然ドイツをライバル視しており、人気スポーツではアルペンスキーにおいてオーストリアはドイツを上回る世界最強国でもある。しかし、さすがにサッカーはドイツに敵わない。そういう訳で、オーストリア人にとって重要なのは誰が相手であろうが、「ドイツが負ける事」だそうだ。
但し、オーストリア人にとってここで言うドイツはおそらくプロイセンであり、バーデン・ヴュルテンベルクやバイエルンではない。特に私の住むバイエルンはむしろ文化的にも宗教的にもオーストリアに近い。実際バイエルンも民衆レベルでは寧ろオーストリアを同胞とみなしている向きがあり、同じ国でも北ドイツ、旧プロイセン地域に対しての対抗意識が強い。
何れにしても、ドイツにおいてオーストリアのイメージはすこぶる良い一方で、逆にドイツのイメージはオーストリアでは悪いという、隣国同士やや変わった国民感情が形成されてきた。これはサウンド・オブ・ミュージックのような、戦後公開された人気オーストリア映画のイメージがドイツ人に定着した一方で、オーストリアは戦後ドイツとやや距離を置いた影響があると言われている。
とりわけ、オーストリアは1938年の併合の際ヒトラーを大歓迎で迎え入れており、その侵略政策における大きな足掛かりを作った。見方よってはオーストリアもナチスの同胞だったと見られなくもないので、戦後ドイツと差別化したいという目的が生まれるのは理解し得る。その結果、ドイツをこき下ろし、差別化することで自分たちを持ち上げる文化が出来たと言うところだろうか。実際、戦後間もない時期に教育を受けた世代においてドイツ人に対する否定的なイメージがオーストリアでは強いそうだ。
しかし、オーストリアがEUに加盟して以降、オーストリアのドイツに対する国民感情は大きく改善されたと言われている。最近では難民政策の方針の違いでややギクシャクしている感もあるが、同じ民族、兄弟のような国同士であることは変わりない。お互いをライバル視するのも、よくある兄弟同士の対抗意識から来るところが大きいだろう。