FCバイエルンを袖にできるフィリップ・ラームの度胸と処世術

FCバイエルンのキャプテンであり、ドイツ代表の元キャプテンであるフィリップ・ラームがインタビューで今シーズン限りで現役引退する事を発表した。引退する事自体は噂になっていたので意外性はそれ程無いが、既定路線だと思われていたFCバイエルンのスポーツディレクターの就任も「適切な時期ではない」として断り、引退後は一旦は定職に就かない自由の身になることを表明した。

これらの発表をラームは大袈裟な記者会見などではなく、普通の試合後のインタビューで唐突に行なった。この独断での発表はチームの上層部の意向を無視したもので、チームの関係者は完全に困惑し、世間に物議を醸している。

ラームは20歳そこそこから33歳の現在に至るまで10年以上もFCバイエルンという名門及びドイツ代表でも常に不動のレギュラーであり、キャリアを通して不調に陥る事なく、常に高いレベルでプレーしてきた。更にキャプテンとしてチャンピオンズリーグとW杯も制し、ワールドクラスの選手としての評価を不動のものとしている。

そしてピッチを離れても基本的にはラームはリラックスかつスター然としない発言や態度で好感を持たれており、その外見からも一般には優等生的なイメージがある。しかし、その一方でタイミングを見て物議を醸す発言や行動をこれまでも起こしてきた。そして、これこそがラームの度胸と賢さであり、後で振り返れば見事な処世術と言っても過言ではないと思う。幾つかエピソードがある。

2009年にラームは所属するFCバイエルンのチーム編成及び、選手の獲得方針、確固としたプレー哲学の欠如をインタビューで露骨に批判した。これは当然チーム上層部の逆鱗に触れ、ラームは50000ユーロというクラブ史上最高額の罰金を払う羽目になった。

しかしFCバイエルンはラームの発言が起爆剤になったのか、ここから方針を一変し現在に至る黄金時代を築く事になる。ラーム自身もその中でキャプテンのして絶対的な地位を確立し、その意見が正しかった事が今では証明されていると言って良い。悲願のチャンピオンズリーグを制する事にも成功した。

また2010年の南アフリカW杯に臨むドイツ代表は、当時キャプテンであり絶対的な地位を確立していたバラックが怪我のために欠場し、経験から言えば替わりにキャプテンになる筈のクローゼはクラブで完全に干された状態だった事から、ラームにキャプテンのお鉢が回ってきた。バラックを欠いて不安視されたチームだったが、逆にチームは快進撃を見せてベスト4に進出する事になる。

それまでのキャプテンであるバラックの影が薄くなった絶妙のタイミングで、ラームは可能であれば自分がキャプテンを続けたいと言う意思を明確にした。これは当然それまでの王様であったバラックの逆鱗に触れて物議を醸したが、その後の展開は知っての通り、バラックが代表に呼ばれる事はなく、ラームはそのままキャプテンに留まりチームに絶対的な地位を確立し、W杯を制するまでになった。

更にラームは5年くらい前に本を執筆している。内容も殆どは若者向けの当たり障りの無いものらしいが、その中の一部がこれまで出会った監督を批判しているとして物議を醸した。ラームは国内サッカー界のお偉いさんたちを激怒させ公に謝罪するまでに至るものの、実際ここでラームに批判されたとされる監督たちはのちに成功を収めることはなかった。

逆に後に誰にも文句を言わせないほど成功したのはラームであり、今となってはその見識が間違っていない事も証明されたとも言える。本自体もすこぶる売れたらしく、その手法はともかくビジネス的にも成功した。

これらのエピソードから言えることは、ラームが行ったことは一般には完全に越権行為であり、普通ならば自らの評価を著しく落としてしまい、下手をすればチームから干されたり追い出されても不思議ではないことである。

しかし、ラームの場合、これらの物議も終わってみれば自らの名声を傷つけるよりは、寧ろ長期的にみれば彼の評価を高めたとさえ言って良い。ラームは既に引退後にFCバイエルンのスポーツディレクターのポストを用意されていた事から、既に将来の幹部と目されていた事が伺える。

そして、今回もラームはバイエルンの上層部の意向を無視し、独断で自らの進退を発表する行為に出て物議を醸している。とりわけ会長のウリ・へーネスはこれに困惑しており完全に面目が潰された感がある。何故ラームがこのような意表を突く行動に出たのかわからないが、ラームとFCバイエルンの意向に大幅な食い違いがあったのは間違いないだろう。それでもFCバイエルンは「将来もラームへの扉は開かれている」と、その信頼を述べた。

しかし、こんなFCバイエルンという超ビッグクラブを袖にできるような選手というのは本当にラームくらいなものであろう。そのサッカーの実力もワールドクラスであることは言うまでもないが、この度胸と処世術にも本当に恐れ入る。引退後も自ら適切な時期を見てサッカー界に戻ってくるであろう。