00年代ドイツ最高の選手、「小皇帝」ミヒャエル・バラック

2000年代の前半ドイツサッカーは深刻な低迷期に突入し、優秀な選手が枯渇した状態が続いたが、その中で唯一のワールドクラスとして存在感を放ったのがキャプテンであるミヒャエル・バラックだ。この頃のドイツ代表はBallack & Co=「バラックとその仲間たち」なんて呼ばれており、その存在感は誰が見ても突出していた。私の中でもこのミヒャエル・バラックはこれまでドイツで見た中で最もインパクトの強い、記憶に残る選手だと言える。

バラックの名前がワールドクラスになったのは間違いなく2002年だろう。この年、バラックはクラブでチャンピオンズリーグ、代表としてもW杯で決勝に進出した。両方とも決勝で敗れたが、前評判の低かったチームを決勝まで押し上げたのはバラックの獅子奮迅に活躍によるところが大きかった。この既に25歳だったので、選手としては遅咲きの部類に入る。

バラックのプレーの何が突出していたかと言えば、間違いなくそのヘディングの強さであろう。中盤やや下がり目の位置からゲームをコントロールする司令塔タイプのMFであったが、機を見て前線に飛び出し、その強力なヘディングで何度も試合を決定づける重要なゴールを決めた。このヘディングの強さは中盤の選手としては正に別格であり、長年の間ドイツ代表、FCバイエルンにおいて鉄板のゴールパターンとして定着した。

更に両足のコンパクトな振りから放たれる強烈なミドルシュートも武器としており、全盛期はFWを上回る得点力を見せた。ドイツ代表で98試合に出場し42得点、FCバイエルンで155試合で61得点と言う数字は中盤の選手としては傑出していると言える。しかしバラックの選手としてのクオリティの高さは得点力だけではない。

バラックは広い視野、精度の高いキックでゲームをコントロールし、その屈強な体格と豊富な運動量で守備での貢献度も極めて高かった。プレースタイルから言えば、いわゆるBox to Boxと呼ばれる選手の代表格と言える。寧ろベテランとなる年齢に差し掛かると、得点力よりもそのオールラウンドな能力、クレバーさを前面に押し出したプレースタイルに変化した。

象徴的なのが、2006年にバラックはFCバイエルンから当時世界最強のチームの一つであるFCチェルシーに移籍し、同世代のライバルと言って良いフランク・ランパードとの共存を迫られた事だ。ドイツとは異なり、チェルシーではバラックは決してチーム唯一無二のスターではなかったが、黒子役として周りのスター選手と共存する事にも成功している。ピッチの上で地味な仕事にも徹する事が出来る柔軟性を持った選手だった。

バラック以後ドイツの中盤には優秀な選手が軒並み登場しており、ポジション、プレースタイルから言えばシュヴァインシュタイガーがその後継者的な立場になった。しかし、私の中では選手としての総合力で言えはバラックが上だ。とりわけチームの絶体絶命のピンチを何度も救ってきたその精神力は、私が見た中では歴代ドイツ名選手の中でもナンバーワンだ。