土曜日ブンデスリーガ最終節が行われ、既に今シーズン限りでの引退を表明していたフィリップ・ラームが現役生活に終止符を打った。ラームの選手としての偉大さは今更言うまでもない。その実力と実績からいえば2000年代ドイツ最高の選手である事に疑いの余地はなく、それ以前を見ても、選手としてベッケンバウアーやマテウスと肩を並べる伝説的な存在といっても遜色ない。
ラームが21歳でドイツ代表にデビューした2004年はドイツ代表にとって暗黒の年だった。この年、未だ低迷期にあったドイツはテストマッチでルーマニアに1-5で敗れるという衝撃的な敗戦を喫するなど全く調子が上がらず、EURO2004でもグループリーグで惨敗した。その中で、唯一の希望の光として高い評価を得たのがラームだった。
そのラームのプレースタイルは若いころからキャリアを通じて極めて地味だった。そもそもポジションがサイドバックなので注目度は低い。確かにスピード、テクニック、パス能力、キックの精度といったサッカーに必要な技術、アスリートの能力は高かった。しかし、それ以上にラームが飛び抜けて素晴らしかったのは、頭の良さ、或いはサッカーセンスと言うものであろう。
まず守備面で言えば、ラームは殆どポジショニングのミスと言うものが無く、裏を取られて相手選手の尻を追いかける場面は殆ど記憶にない。更に滅多にファウルをしない選手として有名で、2015年に何とおよそブンデスリーガで1年間ファウル無しという地味ながらおよそ信じられない記録を持っている。ラームのクレバーさを象徴するような記録だ。
私が記憶している中でラームの決定的なミスは二つ、EURO2008の準決勝のトルコ戦で1対1で相手の突破を許して同点ゴールを許した。但し、この直後ラームは見事なコンビから自ら勝ち越しゴールを決めている。もう一つはEURO2012の準決勝イタリア戦、相手ロングボールの目測を誤りバロテッリに裏を取られ得点を許した。しかし全体的に見れば、2010年あたりからのラームは安定感抜群でその守備は非の打ちどころがないと言える程だった。
更にラームは攻撃面での貢献度は極めて高く、私の印象ではとにかくコンビプレーが上手かった。FCバイエルンでは右のロッベンが得意の中央へのドリブルを開始すると、必ず、もう本当に間違いなくラームがその空いたスペースへ走り込み、相手陣内深くへ切り込んだ。更に中盤の組み立てに参加し攻撃の起点として機能する上に、ワンツーなどを駆使して中央も突破した。
あのペップ・グアルディオラがラームほど賢い選手は見たことがないと言わしめるほど、その頭の良さは際立っていたと言える。これに目を付けたグアルディオラはラームを中盤の底に配置し、チームをコントロールする役割も与えた。このポジションであれば、ラームもあと数年はインターナショナルなレベルでもプレーできたはずだ。
そして、ラームの更に地味ながら素晴らしい点として挙げたいのが、キャリアを通じてスランプと言うものが存在しなかった点だ。とにかく、ラームは試合に出れば悪くても80点以上は出してくれる優等生だった。その選手としての総合力のみならず、長いスパンで安定した実力を発揮した点において、ラーム程の選手はおそらく今後数十年出てこない。
そのラームについてもう一つ言及しておきたいのが、FCバイエルンとドイツ代表のキャプテンを務め、そこでドイツにおける伝統的なキャプテン像を変えた事だ。
私の知る限り、伝統的にドイツのキャプテンとはいわゆる「闘将」と言う言葉がピッタリの強面でチームの中心に座り、見方を鼓舞、指示し、チームのヒエラルキーの頂点に立つ存在だった。マテウスやカーン、バラックなどはその最たる例だろう。
ラームはこれらのキャプテン像とは180度異なるタイプのキャプテンとして存在を確立する事に成功した。つまり、チームメイトに上から目線で従わせるのではなく、彼らと対等な立場としてコミュニケーションをとり、それぞれの選手の長所と短所を把握しつつ責任を分担させると言うスタイルだ。そしてラームは古いキャプテン像に対しインタビューなどではっきりと嫌悪感も示している。
そのラームの意思がはっきりと行動に現れたのが、2010年にバラックからキャプテンの座を奪い取った事件であろう。当時バラックが怪我でチームを離脱中に代理としてキャプテンを務めていたラームは、インタビューにおいてキャプテンの座をバラックに「自主的には返却したくない」と事実上拒否した。
表向きは極めて政治的な発言だったとはいえ、当時の状況や内容を考えればチーム内のヒエラルキーにおいて下克上の意図が見えるもので、これは当時キャプテンとしてアンタッチャブルな存在だったバラックの逆鱗に触れ世間に物議を醸した。
この時の事をラームは現在になって回想しているが、ラームはこの時自分の新しいキャプテンのスタイルが若い選手に歓迎されている事を確信し、自然と本能的に出た発言だと述べている。この後、監督のレーヴはバラックを代表に呼ぶことはせず、ラームがそのままキャプテンの座に留まることになった。
この件をバラックは相当根に持っているらしく、未だにラームをこの件で批判するコメントを出している。確かにラームのあのタイミングでの発言は自然に口から出たとしてもややアンフェアであり、バラックの言い分は理解できなくも無い。
しかし、ラームは様々な批判を受けながらも自身の新しいキャプテンのスタイルをチームに定着させ、クラブでは2013年にCLを制し、代表としては2014年にはW杯を制した。圧倒的な実力を備えながら、国際的には万年2位にしかなれなかったバラックとはここで大きな差がついた。
もちろん、バラックの時代とは異なり、ワールドクラスの実力を持ったチームメイトに恵まれた面もあるだろう。しかし、これだけ実力のある選手が揃いながら、チーム内の揉め事や派閥争いなどのトラブルを殆ど聞くことが無く、チームが長期間まとまり結果を残した事は特筆すべきだ。キャプテンがラームだからこそ出来たチーム内のマネジメントであり、事実上このキャプテンの交代からドイツ代表の新しい黄金期が始まったと言っても過言でない。
ラームはそのプレーのみならず、キャプテンとしての多大な功績で、文句なしのドイツサッカー真のレジェンドの一人に数えられるだろう。