私にとってドイツ最高の「10番」は議論の余地なくメスト・エジルだ。エジル程の技術、千里眼を持ったトップ下は少なくともドイツでは見ていない。残念な形で代表引退してしまったが、ドイツ代表で92試合、40アシストの数字が色褪せる事はない。
しかし、このエジルに次ぐドイツの「10番」を挙げるとすれば、これも迷う事なく私はトーマス・ヘスラーだと答える。ヘスラーもドイツ代表101試合に出場、35アシストを記録したドイツのレジェンドに数えられる。ヘスラーはエジル程パスに特化した選手ではなかったが、トップ下として非常に優れた総合力を持った1990年代を代表するMFだ。
このヘスラーについてまずしばしば言及されるのが166cmという身長だろう。国歌斉唱の際の選手整列を見れば、屈強な大人の中にひとり少年が混じってるかと錯覚するくらいである。ヘスラーはこの小さく、小回りの効く体格を生かしたドリブラーとして当初は目立っていた。非常に豊富な運動量で中央のみならずサイドへも頻繁に顔を出し、ドイツの攻撃のアクセントとなった。どちらかと言えば、右サイドを好む選手だという印象を持っている。
一方でヘスラーは166cmの身長ながら67キロの体重があり、非常にがっしりとした体格の持ち主でもあった。ヘスラーはボレーシュートを非常に得意にしていたが、これは高い技術に加えて目線、体勢がブレない強い体幹があったからこそだろう。とりわけ、1989年W杯予選、最終戦のウェールズ戦でのボレーシュートは、ドイツをW杯へ導く伝説的なゴールでもある。
因みにこのW杯本戦でドイツは優勝したが、このウェールズ戦に勝利しなければドイツはそもそもW杯に出場出来なかった。その意味でも最も重圧のかかる試合であり、ドイツサッカー史上最も重要なゴールのひとつだと現在でも語り継がれている。
加えてヘスラーはキックの精度が非常に高く、とりわけフリーキックにおいては長年ドイツNr.1と認知されていた。当時のドイツはパワー系のキックが多かったが、ヘスラーのそれは右足で曲げて落とすタイプである。EURO1992ではそのフリーキックから2得点を決めており、この年はFIFA最優秀選手賞の3位なっている。その軌道、ダイナミックなフォームはデビッド・ベッカムに近いイメージがある。
そして、ヘスラーがやはり飛び抜けて素晴らしかったのは、その広い視野とテクニックから繰り出されるラストパス、アシストの能力だろう。当時のドイツにはヘスラーのような10番タイプは枯渇しており、そのアシスト能力は当時のストライカー、ユルゲン・クリンスマンやオリヴァー・ビアホフから絶賛された。EURO2000ではそのビアホフの熱望で34歳にして代表に復帰し、本戦にもスタメンで出場している。
最終的にヘスラーはドイツ代表として1990年W杯優勝、EURO1992準優勝、EURO1996優勝という輝かしいタイトルに加え、その何れの大会でも主力選手として出場した。その獲得タイトルのみならず、当時の肉弾戦、精神力の強さばかりが強調されたドイツサッカーにおいて数少ない高い技術、アイデアで勝負するタイプの選手であり、現在でも非常に記憶に残る人気の高いレジェンドである。惜しむらくはクラブレベルではその実力に比して国際的な舞台で活躍する機会が少なかったことだろう。
因みににヘスラーはドイツ語の1人称”Ich”(イッヒ)をベルリン訛りで”Icke”(イッケ)と言っていた為、ドイツではこの”Icke”というニックネームが定着している。現在はベルリンで7部リーグのBFCプロイセンというチームの監督を務めている。